
事業譲渡の契約書に「10年間は競業しない」と書いたのに、売り手が「その事業部は譲っていない」として同じ地域で営業を再開した。競業避止の条項はどこまで及ぶのか。東京地裁 令和3年1月8日判決は、食品用機械メーカーが関東の事業部を譲った事件で、契約書の文言、残す資産の書き方、社内の議事録から譲渡の範囲を確かめ、売り手の営業の差止めを認めました。この記事では、判決文をもとに、何が起きたか、何が争われたか、事業譲渡で確かめることを整理します。
この事件は、事業譲渡のトラブル・判例62件の分析の類型5「売り手が同じ商売を始める(競業)」の事例です。
<a href="https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/shokuhin-kikai-kyougyou-10nen/">「対象外の事業部」なら競業してよいか――10年の競業避止条項と、休止状態だった部門での事業再開を差し止めた東京地裁 令和3年1月8日判決(食品機械メーカーの事業譲渡)|株式会社日本財務戦略センター</a>文章での出典表記:株式会社日本財務戦略センター「「対象外の事業部」なら競業してよいか――10年の競業避止条項と、休止状態だった部門での事業再開を差し止めた東京地裁 令和3年1月8日判決(食品機械メーカーの事業譲渡)」(2026年10月12日) https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/shokuhin-kikai-kyougyou-10nen/売り手は、北海道を中心に食品用機械の開発、製造、加工、販売及びメンテナンスなどの事業を営む、札幌市に本店を置く会社です。買い手は、機械装置の設計・製作などを目的として平成28年12月に設立された会社で、その代表者は売り手の旧関東事業部の次長を経て売り手の取締役になった人です。判決は両社を実名で書いていますが、この記事では伏せます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 平成6年3月 | 売り手が埼玉県所沢市に事務所を設け、関東事業部(旧関東事業部)を開設 |
| 平成15年 | 本社に産業機械事業部(産機事業部)を開設 |
| 平成23年11月 | 旧関東事業部と同じ事務所内に関東産機事業部を開設 |
| 平成27年 | 関東産機事業部の責任者が退職。担当者が不在になり、その事業は旧関東事業部の従業員らが引き継ぐ(裁判所の認定) |
| 平成28年10月21日 | 売り手の役員会議で、代表者が関東事業部の事業譲渡を提案。資産価値と営業権を各1000万円くらいと発言 |
| 平成28年12月 | 買い手が設立される |
| 平成29年1月15日 | 事業譲渡契約を締結。対価は1500万円(消費税含む)、譲渡日は同年2月末日 |
| 平成29年2月 | 売り手と買い手が連名で旧関東事業部の顧客に挨拶状を送る |
| 平成29年2月28日 | 譲渡日。買い手の代表者が売り手の取締役を退任 |
| 平成30年6月 | 売り手が旧関東事業部の顧客に「関東産機事業部再開のご案内」の葉書を送る |
| 平成30年7月1日 | 売り手が神奈川県大和市に事務所を設け、関東産機事業部の事業を再開 |
| 令和3年1月8日 | 東京地裁が差止めを認め、賠償請求を退ける |
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契約書1条は、売り手の「関東事業部」を譲渡すると定めていました。2条は、資産を別紙の資産目録のとおりとし、目録には建物付属設備、機械装置、車両運搬具、器具備品について「上記の全てを含む」と書かれていました。2条4項は、営業上の秘密、ノウハウ、顧客情報、営業手法など、買い手が必要又は有益と認めるすべての情報を譲渡すると定めていました。借入金や買掛金などの債務は「上記の全てを含まず」とされていました。
葉書には、取扱品目は食品工場向けのスライサー、異物除去クリーナー、ほぐし装置などの販売を中心にすると書かれていました。買い手が中止を求めると、売り手は「当社は機械メーカーとして当社独自に開発した装置を販売することに特化しておりますので」競業避止義務には違反していないと回答し、中止を拒みました。
買い手は、契約書10条または会社法21条3項に基づき、令和9年2月28日までの関東地方での営業の差止めと、損害の一部として300万円の支払を求めました。争点は次の三つです。
売り手は、契約書の文案を自分で提示したことを認めたうえで、その文言からは「関東産機事業部の事業についても競業を禁止しているようにも理解し得るが」、契約条項の解釈には文言だけでなく目的、動機、経緯などの一切の事情を考慮すべきだと主張しました。
判決は、次の事情を順に挙げて、売り手の主張を退けました。
売り手が挙げた関東産機事業部の実績(展示会への出展や機械の販売)については、本社と旧関東事業部が協力して行ったものと認め、関東産機事業部の売上げとして計上された証拠はないとしました。代表者と買い手の代表者との経営方針の対立についても、そこから譲渡の対象がメンテナンスや部品・資材の販売に限られていたとは推認できないとしました。
挨拶状には「関東産機事業部につきましては、只今移転準備中にて、決まり次第追ってご連絡させていただきます。」と書かれていましたが、判決は、関東地方に事務所を移すことや、事業を再開することの記載はなく、買い手が送った挨拶状にも同様の記載はないとして、買い手が再開を了承していたとは認めませんでした。
売り手が顧客に買い手との取引をやめさせないよう努めるという契約書9条も、売り手が買い手の事業を妨害しないようにする趣旨であり、「被告が関東地方内において原告と競合する事業を行うことを前提とするものとは解し得ない。」としました。買い手が建設業の許可を受けていなかったという売り手の主張についても、許可の有無や要否は契約の効力や条項の解釈に影響しないとしています。
判決は、葉書による再開の告知、大和市の事務所の開設、中止の要請を拒んだ回答の三つの事実から、「被告が本件事業譲渡後に実際に食品用機械を製造・販売等しなかったとしても」、売り手はスライサー、ほぐし装置、クリーナーなどの食品用機械の製造、販売の事業を開始し、継続していたと認めました。この事業は買い手が譲り受けた事業と同種の事業に当たり、契約書10条の競業避止義務に違反するとしました。
差し止める行為は、売り手が関東地方の外の会社を通じて関東の工場に納品させるおそれも考慮し、次の二つとしました。期限はいずれも令和9年2月28日です。
買い手が主張した売上高の20分の1の損害も、譲渡後に売り手が特定の取引先へ機械を販売しメンテナンスをしたという事実も、判決は証拠がないとしました。売上減少による逸失利益についても、損害が生じたこと自体を認める証拠はないとして、「被告の競業避止義務違反の行為により原告に損害が生じたとは認められないから」、賠償請求は理由がないとしました。訴訟費用は3分の2を買い手、3分の1を売り手の負担としています。
事業部の単位で事業を譲るとき、契約書に「〇〇事業部を譲渡する」と書くだけでは、その事業部が実際にどこまでの仕事をしていたかが、後から争いになり得ます。本件では、組織図の上では二つの事業部があっても、裁判所は、担当者の在否、受注予定表の作り方、売上げの計上の仕方といった実態から、譲渡の対象を関東の食品用機械の事業全体と解しました。
もう一つは、残す資産を書かなかったことの重さです。判決は、草案を作った売り手が、残す資産、契約、顧客を区別して書いていないことを、売り手の主張を退ける理由の一つにしました。競業避止の条項の範囲は「原告の事業と競合する同種の事業」という言葉で決まり、その「原告の事業」の範囲は譲渡の対象で決まります。本件では、譲渡の対象を広く解したことが、そのまま競業避止の範囲を広げました。
一方で、差止めは認められても、賠償は認められませんでした。競業の再開を差し止めることと、競業でいくら損をしたかを立証することは別の問題です。本件では、売上高の一定割合という主張も、特定の取引先との取引の主張も、証拠がないとされました。
なお、契約で競業避止を定めていない場合でも、会社法21条1項は、事業を譲渡した会社に、同じ市町村と隣の市町村で20年間、同一の事業を禁じています。契約で定める競業避止は30年まで効力があり(同条2項)、不正の競争の目的があれば地域や期間にかかわらず禁じられます(同条3項)。本件の10年の条項はこの範囲にあり、裁判所は契約で判断したため、21条3項には触れていません。同じように売り手が競業を再開した事件は、事業譲渡のトラブル・判例62件の分析の類型5で整理しています。
以下は判決から導いた確認事項で、裁判所が述べたものではありません。
事件名は損害賠償請求事件ですが、判決は差止めについても判断しています。判決は、旧関東事業部と関東産機事業部の名称を使っており、この記事もそれに従いました。個人は立場で書いています。
Q. 契約書に「〇〇事業部を譲渡する」と書けば、譲渡の対象はその事業部の名前で決まりますか?
本件では、名前だけでは決まりませんでした。東京地裁は、担当者の在否、受注予定表の作り方、売上げの計上、契約書の資産の定め、役員会議の議事録などから、「関東事業部」は関東の食品用機械の事業を包括的に含むと解しました。ただし、これは本件の事実関係のもとでの契約解釈です。
Q. 売り手が実際に機械を売っていなくても、競業避止義務違反になりますか?
本件では、再開を知らせる葉書の送付、事務所の開設、中止の要請を拒んだ回答から、実際に製造・販売しなかったとしても事業を開始し継続していたと認め、違反としました。どの程度の準備行為で違反とされるかの一般的な基準を示したものではありません。
Q. 競業避止義務違反で損害賠償は認められましたか?
認められませんでした。買い手が主張した売上高の20分の1の損害、特定の取引先との取引、売上減少による逸失利益のいずれも、証拠がないとされました。差止めは認められています。
Q. この判決は会社法21条3項(不正の競争の目的)について判断していますか?
判断していません。買い手は契約書10条と会社法21条3項の両方を根拠にしましたが、判決は契約書10条の違反で差止めを認め、21条3項の争点には触れていません。地域の定めのない10年の競業避止条項が有効かどうかも、争われておらず、判断されていません。
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この記事は、裁判所が公開している判決文(2026-10-12時点)をもとに、判決が認定した事実と判断を整理したものです。判決の評価にあたる言葉は、判決の文言をカギカッコで引用したものに限っています。判決に出てくる個人は、判決自身の伏せた表記か続柄だけで書いています。株式会社日本財務戦略センターが当事者の主張の当否や、現在の会社・商品について評価するものではありません。上級審や確定の有無は、記事中に書いたもの以外は確認できていません。個別の契約や紛争については、弁護士などの専門家にご相談ください。
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