退任する元社長が会社の商標を移した責任――全株式を譲って代表に残った売り手の共同不法行為を認めた東京地裁 令和4年5月27日・知財高裁 令和4年11月30日判決

退任する元社長が会社の商標を移した責任――全株式を譲って代表に残った売り手の共同不法行為を認めた東京地裁 令和4年5月27日・知財高裁 令和4年11月30日判決

会社の全株式を買い手に譲り、売り手のオーナーがそのまま代表取締役として残る。中小企業のM&Aではよくある形です。この事件では、その後に買い手と元社長が経営方針で対立し、元社長の退任の前後に、会社が持っていた商標権2件が元社長の元配偶者の名義に移されました。東京地裁と知財高裁は、元社長が元配偶者と共謀したと認め、会社に損害を賠償するよう命じました。この記事では、二つの判決文をもとに、何が起きたか、何が争われたか、株式譲渡の前に確かめることを整理します。

この事件は、株式譲渡のトラブル・判例74件の分析の類型5「売り手・旧経営者との譲渡後の争い」の事例です。

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<a href="https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/rusk-shohyo-taininn/">退任する元社長が会社の商標を移した責任――全株式を譲って代表に残った売り手の共同不法行為を認めた東京地裁 令和4年5月27日・知財高裁 令和4年11月30日判決|株式会社日本財務戦略センター</a>文章での出典表記:株式会社日本財務戦略センター「退任する元社長が会社の商標を移した責任――全株式を譲って代表に残った売り手の共同不法行為を認めた東京地裁 令和4年5月27日・知財高裁 令和4年11月30日判決」(2026年10月12日) https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/rusk-shohyo-taininn/
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先に結論

事件の概要と時系列

会社は、秋田県羽後町に本店を置く、ラスクなどの製造販売の会社です。元社長は平成元年頃に実家の建物で前身の旅館兼懐石料理店を創業し、のちに自ら考案したクロワッサン・ラスクなどの洋菓子の製造販売に経営の中心を移しました。会社名、買い手の会社名、取引先の百貨店名は、この記事では伏せます。

時期出来事
平成20年1月元社長が、元配偶者に代わって代表取締役に就任(元配偶者とは平成22年11月に離婚)
平成24年8月会社が、クロワッサン・ラスクを指定商品とする商標2件の登録を受ける
平成27年12月25日資金繰りの問題などから、仲介会社の仲介を受け、元社長が福島市の会社に全株式を譲る契約を結ぶ。元社長は引き続き代表取締役を務める内容。株式の譲渡日は平成28年3月7日
平成28年3月7日買い手の会社の代表者が会社の代表取締役に就任し、買い手側から取締役も就任
平成28年9月〜10月社宅の賃料の負担や経費、本社機能の移転などをめぐって対立。10月15日の会談で合意に至らず、元社長が退任の意向を示す。10月20日、代表者印・銀行印・印鑑カードを引き渡す
平成28年10月11日元配偶者が、商標の一方(商標2)を自分に移す申請をする。11月4日、特許庁が、代表者印が「有限会社」のままであるとして、印鑑証明書による証明などを示唆する却下理由通知を発送
平成28年11月9日元社長が、買い手側の取締役に「ものづくり補助金」の手続に必要だとして、会社の印鑑証明書を町役場の職員宛てに送るよう依頼し、手に入れる
平成28年11月14日元社長が、平成29年1月15日付けで代表取締役を退任すると通知
平成28年11月21日元配偶者が、その印鑑証明書を添付して商標2の移転を申請し、移転登録がされる
平成29年1月18日退任の3日後、元配偶者が同じ印鑑証明書を援用して、もう一方の商標(商標1)の移転を申請し、移転登録がされる
平成29年1月27日元配偶者が、会社の商品に関係する商標3件を自分の名義で出願(1件は拒絶、2件は登録)
平成29年12月1日原告の会社が、合併により会社のラスクの製造・販売等の事業を承継
平成29年12月15日百貨店の担当者が、商標登録に問題があるとして、翌年の御中元のカタログに商品を載せられないと告げる
平成30年9月〜平成31年3月原告が元配偶者に移転登録の抹消を求めて提訴。東京地裁が請求を認め、判決は確定
令和2年5月25日特許庁が、元配偶者名義の商標2件の登録を無効とする審決
令和4年5月27日東京地裁判決(元社長に963万6770円などの支払を命じる)
令和4年11月30日知財高裁判決(588万0766円などに減額)

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このほか、原告は元社長と元配偶者を告発しましたが、検察庁は公訴を提起しない処分をしています。元配偶者は、この訴訟で自分の責任を争わず、損害だけを争ったうえで、原告と和解しました。

何が争われたか

  1. 共謀の有無:原告は、元社長が元配偶者と共謀して商標権を移したと主張しました。元社長は、商標権の存在を特に認識しておらず、移転の手続には関与も関知もしていないと主張しました。印鑑証明書は補助金の事務局の指示で取り寄せたもので、元配偶者が無断で持ち出した可能性がある、とも主張しています。
  2. 損害の範囲:原告は、百貨店のカタログ等に商品を載せられなかった逸失利益(平成30年1月から令和2年5月まで月55万円)、抹消登録の訴訟と仮処分の費用、特許庁での手続の費用など、計2128万0344円を求めました。
  3. 控訴審で加わった争点:元社長は、原告が百貨店に説明をしなかったことなどを理由とする過失相殺と、元配偶者が和解で支払った150万円の控除を主張しました。

裁判所の判断

東京地裁――共謀を認め、963万6770円

東京地裁は、補助金の事務局が当時元社長とやり取りをした事実はなく、そもそも補助金の手続に印鑑証明書は必要とされていなかったと認めました。元社長は、提出の必要がないことを知りながら、必要であるかのように買い手側の取締役を誤信させ、元配偶者に使わせるために印鑑証明書を手に入れたと判断しています。

そのうえで、却下理由通知の直後に印鑑証明書を取り寄せた時期と経緯、元社長と元配偶者の関係などから、元社長は元配偶者と共謀して商標2の移転登録を行い、一連の行為である商標1の移転登録も行ったと推認しました。商標権は、元社長が進めたラスク菓子の事業を支える重要な知的財産権で、元社長がその存在に思い及ばなかったとは認め難いとしています。

損害は、カタログ等の逸失利益750万円(月約30万円の25か月分)、抹消訴訟の印紙代と仮処分の登録免許税34万8300円、その弁護士費用50万円、元配偶者名義の商標2件の無効審判の費用41万2400円、この訴訟の弁護士費用87万6070円の計963万6770円を認めました。弁護士費用を定める際には、移転登録の「態様の悪質性」にも触れています。原告が月55万円の根拠とした平成28年の実績は、例年と異なる特別な事情があったとして採りませんでした。

知財高裁――共謀は維持、損害を586万0300円に

知財高裁も、元社長が虚偽の事実を述べて印鑑証明書を手に入れた経緯は「控訴人が不正な目的で本件印鑑証明書を入手しようとしたことを強くうかがわせる」として、二つの商標について共謀を認めました。退任後にされた商標1の申請は、会社に対する共同不法行為になるとしています。在任中にされた商標2の申請は、会社に対する加害行為であり、元社長と元配偶者の利益のためにされた行為で、「代表権を濫用するものであることが明らかである」から、これも共同不法行為になると判断しました。

損害については、次の点で一審を改めました。

項目東京地裁知財高裁
カタログ等の逸失利益750万円(平成30年5月〜令和2年5月・月約30万円)448万円(平成30年5月〜令和元年8月・月28万円)
抹消訴訟・仮処分の費用34万8300円35万0300円
抹消訴訟の弁護士費用50万円50万円
特許庁での手続の費用41万2400円認めない
この訴訟の弁護士費用87万6070円53万円
合計963万6770円586万0300円

逸失利益の終わりの時期は、抹消登録を命じる判決が確定し、平成31年4月中には抹消登録を申請できたことに、カタログ掲載までに要する4か月程度を加えて、令和元年8月31日までとしました。元配偶者名義の新しい商標3件については、出願したのは元配偶者で、「控訴人が本件申請のみならずこれらの手続にも関与していたものと認めるに足りる証拠はない」として、それによる逸失利益や特許庁での費用を、元社長の責任の範囲から外しました。

百貨店が掲載を断ったことについては、移転登録がされている以上、元配偶者から異議が申し立てられるおそれがあり、掲載を断るのは「十分合理性のある措置であったといえる」としました。原告が百貨店に説明をしなかったことなどを理由とする過失相殺は認めていません。抹消訴訟の印紙代などは、その訴訟の当事者でない元社長に対しては、訴訟費用の確定手続で取り立てられないので、この訴訟で損害として請求できるとしています。

元配偶者が和解で支払った150万円は、解決金とされ包括的な清算条項もありましたが、和解調書の請求の表示に訴状の記載が引用されていたことなどから、共同不法行為による損害賠償債務の弁済として支払われたものと認めました。判決の計算では、150万円はまず平成29年1月18日から支払日の前日(令和4年3月27日)までの遅延損害金152万0466円に充てられ、元本586万0300円と残りの遅延損害金2万0466円の合計588万0766円が残ります。元社長に命じられたのは、この588万0766円と、そのうち586万0300円に対する令和4年3月28日からの遅延損害金です。遅延損害金の起算日は、損害は申請の時に発生したとして、商標1の申請の日(平成29年1月18日)とされています。利率は、平成29年改正前の民法による年5分です。

この判決から何がいえるか

本件では、株式を譲った後も代表取締役として残った売り手が、自分では申請していなくても、虚偽の理由で手に入れた印鑑証明書を元配偶者に使わせたことなどから共謀を認められ、会社の商標権を移した共同不法行為の責任を負いました。在任中の申請は代表権の濫用とされ、退任後の申請も共同不法行為とされています。共謀の認定は、印鑑証明書を取り寄せた時期と経緯などの具体的な事実からの推認であり、役員として残った売り手が一般に同じ責任を負うというルールを示した判決ではありません。

一方で、責任の範囲には限りがあります。知財高裁は、元配偶者が自分の名義で新たに出願した商標については、元社長の関与を認める証拠がないとして、その損害を元社長に負わせませんでした。逸失利益も、本件の抹消訴訟の確定時期とカタログ掲載に要する期間をもとに区切られ、月28万円という額も、会社のカタログ等掲載商品に係る平成26年10月から平成29年9月までの3年間の営業利益の平均から認定されたもので、算定の方法を一般化したものではありません。名義を取り戻すための仮処分と抹消訴訟、さらに損害賠償の訴訟を経て、最初の移転登録から知財高裁の判決までに約6年がかかっています。

この判決は、元社長個人の不法行為責任を判断したものです。株式譲渡契約や役員としての契約の内容、表明保証、譲渡代金の扱いは判断されていません。判決は、元社長が契約上の競業避止義務を負っていたことにも触れていますが、その違反の有無は判断の対象になっていません。株式譲渡後の商標・特許・商号をめぐる他の事例は、株式譲渡のトラブル・判例74件の分析の類型5で整理しています。

株式譲渡で確認すること(この判決から導ける示唆)

以下は判決から導いた確認事項で、裁判所が述べたものではありません。

  1. 主力商品の商標を一覧にし、名義と出願の動きを譲渡後も追う:この事件の商標2件は、主力のクロワッサン・ラスクを指定商品とするもので、名義が移ったことで百貨店のカタログ掲載が止まりました。原告が移転登録を知ったのは平成29年8月頃で、最初の移転登録から約9か月後です。クロージングの時点で、主力商品に関わる商標の登録名義と出願中のものを登録原簿で確かめ、譲渡後も、会社の商品名に関わる移転登録や第三者の出願(この事件では元配偶者が新たに3件を出願)がないかを確認する担当を決めておくことが考えられます。
  2. 売り手が役員として残る場合は、退任時に印鑑と印鑑証明書の取り寄せを一緒に切り替える:この事件では、元社長が代表者印・銀行印・印鑑カードを引き渡した後に、補助金の手続を名目にして、買い手側の取締役を通じて会社の印鑑証明書を手に入れ、それが商標の移転申請に使われました。代表者印の引継ぎだけで終わらせず、印鑑証明書を誰が請求し、どこへ送り、何に使ったかを記録する手順を、売り手の退任の前に社内で決めておくことが考えられます。
  3. 名義が移ったときの取引先への説明と、回復の手続を並行して準備する:知財高裁は、移転登録がされている間は、百貨店が掲載を断るのは合理的だったとし、原告が説明しなかったことを理由とする過失相殺も認めませんでした。また、逸失利益は抹消登録を申請できた時期をもとに区切られています。名義を取り戻す手続(この事件では仮処分と抹消登録請求訴訟)を早く始めるとともに、主要な取引先への説明を準備しておくことが考えられます。

判決の出典

知財高裁判決は、東京地裁判決に対する控訴と附帯控訴について、原判決を変更したものです。知財高裁判決に対する上告の有無と確定については、2026年10月12日時点の公開情報では確認できていません。個人は判決の伏字か立場で書いています。

よくある質問

Q. 全株式を譲った売り手が役員として残った場合、会社に損害賠償責任を負うことがありますか?

この判決では、元社長が元配偶者と共謀して会社の商標権を移したとして、共同不法行為の責任が認められました。在任中の行為は代表権の濫用とされ、退任後の行為も責任の対象になっています。ただし、共謀は印鑑証明書を手に入れた経緯などの本件の事実から認定されたものです。また、判決が判断したのは不法行為の責任だけで、株式譲渡契約や役員の契約に基づく責任、契約上の競業避止義務の違反の有無は判断されていません。

Q. 自分で申請していなくても責任を負うのですか?

商標の移転を申請したのは元配偶者ですが、判決は、元社長が虚偽の理由で印鑑証明書を手に入れて使わせたことなどから共謀を認め、共同不法行為の責任を負わせました。一方で、元配偶者が自分の名義で新たに出願した商標については、元社長の関与を認める証拠がないとして、その損害は元社長の責任から外されています。

Q. 取引先との取引が止まった損害も賠償の対象になりますか?

百貨店のカタログに商品を載せられなかった逸失利益が認められました。ただし知財高裁は、抹消登録ができたはずの時期をもとに期間を令和元年8月までに区切り、月28万円の16か月分、448万円としました。期間も月額も本件の事実(抹消訴訟の確定時期、カタログ掲載に要する期間、過去3年間の営業利益の平均)から認定されたもので、一般的な算定のルールを示したものではありません。

Q. 共同不法行為者の一方が和解金を払った場合、もう一方の賠償額は減りますか?

この事件では、元配偶者が和解で支払った150万円について、和解調書の記載などから、共同不法行為による損害賠償債務の弁済として支払われたものと認め、まず遅延損害金に充てたうえで元社長の支払額を計算しました。解決金とされ包括的な清算条項があっても弁済と認めたのは、本件の和解調書の請求の表示などを踏まえた判断です。和解の内容によって結論は変わり得るので、個別の検討が必要です。

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この記事は、裁判所が公開している判決文(2026-10-12時点)をもとに、判決が認定した事実と判断を整理したものです。判決の評価にあたる言葉は、判決の文言をカギカッコで引用したものに限っています。判決に出てくる個人は、判決自身の伏せた表記か続柄だけで書いています。株式会社日本財務戦略センターが当事者の主張の当否や、現在の会社・商品について評価するものではありません。上級審や確定の有無は、記事中に書いたもの以外は確認できていません。個別の契約や紛争については、弁護士などの専門家にご相談ください。
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五十嵐悠一
監修・執筆責任者
株式会社日本財務戦略センター 代表取締役。京都大学経済学部経営学科(マーケティングゼミ専攻)卒。損害保険ジャパン本店営業部(企業リスク・法務)を経て、東証上場M&A仲介会社にて多数の成約に従事。2020年に株式会社日本財務戦略センターを創業し、M&A・事業承継・財務戦略を専門としています。中小企業庁 M&A支援機関登録事業者/一般社団法人M&A支援機関協会 正会員です。