会社分割で切り出した事業の株式をすぐ合弁会社へ譲ったら、従業員は承継を拒めるか――日本IBMのハードディスク事業をめぐる横浜地裁 平成19年5月29日判決・東京高裁 平成20年6月26日判決

会社分割で切り出した事業の株式をすぐ合弁会社へ譲ったら、従業員は承継を拒めるか――日本IBMのハードディスク事業をめぐる横浜地裁 平成19年5月29日判決・東京高裁 平成20年6月26日判決

事業を他社に移す方法には、事業譲渡のほかに会社分割があります。事業譲渡では従業員一人ひとりの同意がなければ転籍させられませんが、会社分割では、分割計画書などに記載された労働契約が、法律の定めに従って新しい会社に引き継がれます。では、会社分割で事業を子会社に切り出し、すぐにその株式を他社との合弁会社へ譲る場合、実態は事業譲渡だとして、従業員は引き継ぎを拒めるのでしょうか。日本アイ・ビー・エム株式会社(日本IBM)のハードディスク(HDD)事業をめぐる横浜地裁と東京高裁の判決文をもとに整理します。

この事件は、事業譲渡のトラブル・判例62件の分析の類型2「人と顧客が抜ける(従業員・顧客情報)」の事例です。

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<a href="https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/ibm-hdd-kaisha-bunkatsu/">会社分割で切り出した事業の株式をすぐ合弁会社へ譲ったら、従業員は承継を拒めるか――日本IBMのハードディスク事業をめぐる横浜地裁 平成19年5月29日判決・東京高裁 平成20年6月26日判決|株式会社日本財務戦略センター</a>文章での出典表記:株式会社日本財務戦略センター「会社分割で切り出した事業の株式をすぐ合弁会社へ譲ったら、従業員は承継を拒めるか――日本IBMのハードディスク事業をめぐる横浜地裁 平成19年5月29日判決・東京高裁 平成20年6月26日判決」(2026年10月12日) https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/ibm-hdd-kaisha-bunkatsu/
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先に結論

事件の概要と時系列

日本IBMは、コンピューターの製造・販売などを目的とする会社で、米国のIBMの完全子会社です。従業員ら(一審原告15名)は、藤沢事業所でHDD事業に従事し、労働組合の支部に所属していました。

時期出来事
平成14年4月ころIBMと日立製作所が、HDD事業の合弁会社を設立し、本社機能を米国サンノゼに置くことで合意
平成14年6月ころ日立が70%、IBMが30%を出資し、3年後に日立の100%子会社とすること、日立がIBMに20億5000万ドルを分割払いすることなどを合意
平成14年9月3日日本IBMが、HDD事業部門を会社分割で子会社にし、その株式を合弁会社に譲る方針を従業員に通知。質問受付窓口とFAQをイントラネットに開設
平成14年9月19日労働組合の支部が、組合員の5条協議の委任を受けたと通知
平成14年9月27日〜10月2日全国70事業所の従業員代表70名を4グループに分けて代表者協議
平成14年11月27日ころ米国の当局の承認を得て合弁会社(米国カリフォルニア州法人)を設立。日本IBMが分割計画書等を本店に備え置く
平成14年12月25日簡易分割による新設分割で子会社(資本金50億円)を設立し登記。株式10万株はすべて日本IBMに割り当て
平成14年12月31日日本IBMが子会社の株式すべてを合弁会社に譲渡
平成15年4月1日日立がHDD事業部門を吸収分割で子会社に承継させる
平成19年5月29日横浜地裁が請求を棄却
平成20年6月26日東京高裁が控訴を棄却

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分割計画書には、藤沢事業所のHDD開発・製造の営業に係る資産、負債と付随する一切の権利義務を承継し、承継する債務は日本IBMが併存的に引き受けると書かれ、承継営業に主として従事する従業員のリストが添付されていました。リストの人数はアルバイト89名を含む880名でした。日本IBMは、移籍する従業員に、福利厚生制度の補填として一般職80万円、専門職100万円の一時金を支給しました。

事業譲渡ではなく会社分割である点

この事件で使われたのは事業譲渡(当時の営業譲渡)ではなく、旧商法373条の新設分割です。事業譲渡では、従業員を移すには一人ひとりの同意が要ります(民法625条1項)。会社分割では、承継営業に主として従事する労働者の労働契約は、分割計画書等に記載されれば本人の同意なしに承継されます。従業員らは、子会社が日本IBMの子会社として存在したのは6日だけで、実態は営業譲渡にすぎないと主張しました。事業譲渡の判例を集めたハブでこの事件を扱っているのは、事業を他社に移す場面で、事業譲渡と会社分割の違いが従業員の扱いに直結することを示す例だからです。

何が争われたか

  1. 承継拒否権:従業員らは、憲法が保障する使用者選択の自由や契約自由の原則などから、明文がなくても承継を拒む権利があり、承継の通知を受けてから分割の登記までの間に行使したと主張しました。
  2. 7条措置の不備:従業員代表との協議の方法が不十分で、債務の履行の見込み、HDDの瑕疵問題のリスク、日立との賃金水準の差などを明らかにしていないと主張しました。
  3. 5条協議の不備:組合員以外にはライン専門職の説明会だけで、組合員にも直接個別に説明すべきだったと主張しました。
  4. 脱法行為・権利濫用:実態は事業譲渡で、不採算部門を切り捨てるものだと主張しました。
  5. 不法行為:誇りを奪われたなどとして、慰謝料各300万円を求めました。

日本IBMは、会社分割無効の訴えが提起されないまま6か月が過ぎ、分割の有効性は確定しているから、個々の労働契約の承継だけを争うことはできないとも主張しました。横浜地裁は、5条協議の不履行などを理由に承継されないと主張することは許されるとして、この主張は採用しませんでした。

裁判所の判断

承継拒否権――認められるのは退社の自由

横浜地裁は、使用者選択の自由は職業選択の自由(憲法22条1項)に含まれるとしつつ、会社分割では労働契約を含む営業がそのまま承継され、担当業務や労働条件に変化がないことなどから、労働者には「退社の自由が認められるにとどまり、分割会社への残留が認められる意味での承継拒否権があると解することはできない。」としました。通知、異議申立て、7条措置、5条協議という労働者保護の手続があることから、承継拒否の規定がないことは違憲・違法ではないとしています。東京高裁もこの判断を引用し、労働条件は分割会社のものがそのまま承継され、分割によって直ちに切り下げることはできないことを付け加えました。

7条措置――努力義務で、本件では不十分ではない

東京高裁は、7条は分割会社の全労働者の理解と協力を得るよう努める義務を課したもので、十分に行われなくても当然に分割の効力に影響せず、影響があるとしても「せいぜい5条協議が不十分であることを事実上推定させるに止まるものというべきである。」としました。

本件では、70名の代表を4グループに分けたのは人数のためで議事内容は代表に示されていたこと、FAQが開示されていたこと、承継される債務は雇用契約に伴う中途退職一時金積立額と未払賞与等の3億6800万円だと書面で説明していたこと、HDDの瑕疵の保証は日立とIBMの合意で処理され当然に新会社が負うものではないと説明していたことなどから、7条措置が不十分だったとは認めませんでした。日立の賃金水準については、他社の賃金にかかわることで、説明できる立場にないとしたことは不適切ではないとしています。

5条協議――協議の成立までは求められない

横浜地裁は、5条協議は「協議を行うことが義務付けられるのであって、協議の成立までも要求するものではない。」としました。東京高裁は、労働者が5条協議の違反を理由に承継の効果を争えるのは、協議を全く行わなかったか実質的に同視できる場合、または「5条協議の態様、内容がこれを義務づけた上記規定の趣旨を没却するものであり、そのため、当該労働者が会社分割により通常生じると想定される事態がもたらす可能性のある不利益を超える著しい不利益を被ることとなる場合に限って」争えるという基準を示しました。

本件では、組合員以外については、ライン専門職が資料を示して説明会を開き、納得しない従業員とは最低3回協議するよう指示されていたことから、個別面談でなくても規定の趣旨に反しないとしました。アンケートで「行くか辞めるかの意思確認」だったなどの回答があり、説明や協議の方法にばらつきがあったことは認めています。組合員については、委任を受けた組合支部と合計7回協議し、資料や回答書面を送っていたことから、「労働契約の承継に関して必要かつ十分な内容の協議が行なわれたものと認めることができる。」としました。日立が合流した後の会社の概要や将来の労働条件は分割後の新会社の経営判断に属することで、在籍出向や社内での配置転換はないと答えたことも「やむを得ないことというべきである。」としています。従業員らが挙げた昇給幅の縮小などの不利益も、「会社分割により通常生じると想定される事態がもたらす可能性のある不利益の範囲内に止まるものというべきであり」、著しい不利益には当たらないとしました。

脱法行為・権利濫用――株式の譲渡は制限されていない

横浜地裁は、労働契約が同意なしに承継されるのは部分的包括承継だからで、「7条措置や5条協議が民法625条の同意の代替措置とされたものではない」として、脱法行為の主張を前提から退けました。HDD事業の統合の目的に照らし、「被告がその方法として会社分割を利用したことについては、その経営判断として合理性を認めることができる。」とし、6日後の株式譲渡についても「子会社の株式を譲渡すること自体は旧商法上何ら制限されるものではない」としました。

権利濫用については、簡易分割は旧商法上認められた手続であること、子会社の売上高は増え損失も減っていた時期があることから「不採算部門の切捨てであるとか労働条件の不利益変更を当然に予想して会社分割を行ったと断定することは困難である」こと、移籍後に賃金が引き下げられた証拠はないことなどから、「本件会社分割がその制度を濫用したものであるということはできず」としました。東京高裁もこれらの判断を引用しています。不法行為も否定され、東京高裁は損害額については判断していません。

この判決から何がいえるか

会社分割で事業を切り出し、すぐに株式を他社に譲るという二段階の取引でも、分割の手続と労働者保護の手続を踏んでいれば、実態は事業譲渡だという理由で承継の効果が否定されるわけではない、という結論です。会社分割の後に子会社の株式を譲ることは、それ自体が制限されていないとされました。

一方で、判決は5条協議を軽く見たわけではありません。東京高裁は、協議を全く行わなかった場合などには、労働者が個別に承継の効果を争えるという基準を示しています。本件で協議が足りたとされたのは、組合支部と7回協議し、資料や回答書面を送り、開示できない事項はその理由を説明し、組合員ごとの判別結果を示すなど、具体的な対応をしていたからです。

射程の点では、判決は旧商法と当時の労働契約承継法を適用しています。現在、新設分割は会社法762条以下に定めがあり、会社分割の無効は会社分割無効の訴え(会社法828条1項10号など)で争います。5条協議は、平成12年の商法等改正法の附則5条に基づく協議です。現在の手続の細部は、改正後の法令と指針で確かめる必要があります。従業員の引き継ぎをめぐるほかの判決は、事業譲渡のトラブル・判例62件の分析の類型2で整理しています。

事業譲渡で確認すること(この判決から導ける示唆)

以下は判決から導いた確認事項で、裁判所が述べたものではありません。

  1. 事業譲渡か会社分割かで、従業員の同意の要否が変わることを前提に設計する:事業譲渡では一人ひとりの同意が要り、会社分割では分割計画書等への記載で承継されます。本件の従業員らは実態は事業譲渡だと争いましたが、会社分割の手続が踏まれていたことから、主張は退けられました。どちらの方法を取るかは、従業員の移り方と必要な手続まで含めて決めます。
  2. 「主として従事」の判別基準と結果を示し、異議に応じる:本件では、業務との関わり方に基づく22のタイプ別の判断基準を従業員代表に示し、組合支部には組合員ごとの判別結果の表を送り、判別に疑問が出た組合員についてはその理由を協議の場で説明していました。東京高裁は、主として従事しているかどうかの判定について、会社と従業員らの間に判断の相違はなかったと認めています。判別の基準と結果、異議への対応を記録に残します。
  3. 開示できない事項は、できない理由を説明する:本件では、米国の当局の承認前で資本金や役員を発表できないこと、日立の賃金は他社の情報で開示できないことを、理由を付けて繰り返し説明していました。判決は、これらを不誠実とはしませんでした。分割後すぐに株式を譲る取引では、譲渡先の情報をどこまで出せるかを事前に整理しておきます。
  4. 労働組合に委任された場合は、組合との協議を記録に残す:組合支部が組合員の5条協議の委任を受け、個別の面談を控えるよう求めていたため、判決は組合との協議で足りるとしました。委任の通知、協議の日付と回数、送った資料と回答書面を残します。
  5. 買い手側は、承継される債務と労働条件の約束を確認する:本件では、承継される債務は雇用契約に伴うものに限られ、分割会社が併存的に債務を引き受け、労働条件は同等に維持すると説明されていました。株式を譲り受ける側は、これらを分割計画書や説明資料で確かめます。

判決の出典

東京高裁判決によると、一審原告15名のうち12名が控訴し、控訴審で1名が訴えを取り下げました。この記事で使った2つの判決からは、東京高裁判決の後の上告の有無や確定の有無は確認できていません。個人は立場で、訴訟の当事者でない会社は役割で書いています。

よくある質問

Q. 会社分割で転籍させられる従業員は、拒否して元の会社に残れますか?

横浜地裁は、承継営業に主として従事する労働者には退社の自由が認められるにとどまり、分割会社に残る意味での承継拒否権はないとしました。東京高裁もこの判断を引用しています。ただし、5条協議を全く行わなかった場合などには、個別に承継の効果を争える余地があると東京高裁は述べています。

Q. 会社分割の直後に株式を他社に譲ると、実態は事業譲渡として従業員の同意が必要になりますか?

本件では、新設分割の6日後に株式を合弁会社に譲っていましたが、判決は、子会社の株式の譲渡は旧商法上制限されておらず、会社分割を使ったことには経営判断として合理性があるとして、脱法行為や権利濫用の主張を退けました。これは本件の目的や手続を前提にした判断です。

Q. 5条協議は、従業員一人ひとりと個別面談しなければなりませんか?

判決は、個別面談の方法によらなければならないものではないとしました。本件では、ライン専門職の説明会に加え、納得しない従業員とは最低3回協議するよう指示していたこと、組合員については委任を受けた組合支部と7回協議していたことが評価されました。協議の成立、つまり従業員の合意までは求められていません。

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この記事は、裁判所が公開している判決文(2026-10-12時点)をもとに、判決が認定した事実と判断を整理したものです。判決の評価にあたる言葉は、判決の文言をカギカッコで引用したものに限っています。判決に出てくる個人は、判決自身の伏せた表記か続柄だけで書いています。株式会社日本財務戦略センターが当事者の主張の当否や、現在の会社・商品について評価するものではありません。上級審や確定の有無は、記事中に書いたもの以外は確認できていません。個別の契約や紛争については、弁護士などの専門家にご相談ください。
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五十嵐悠一
監修・執筆責任者
株式会社日本財務戦略センター 代表取締役。京都大学経済学部経営学科(マーケティングゼミ専攻)卒。損害保険ジャパン本店営業部(企業リスク・法務)を経て、東証上場M&A仲介会社にて多数の成約に従事。2020年に株式会社日本財務戦略センターを創業し、M&A・事業承継・財務戦略を専門としています。中小企業庁 M&A支援機関登録事業者/一般社団法人M&A支援機関協会 正会員です。