買収額に技術の評価が入っていても特許は移っていなかった――創業者から全株式を1億円で買った補修工事会社の特許をめぐる大阪地裁 平成22年11月18日判決

買収額に技術の評価が入っていても特許は移っていなかった――創業者から全株式を1億円で買った補修工事会社の特許をめぐる大阪地裁 平成22年11月18日判決

技術力のある会社を買うとき、買い手は創業者の技術や今後の開発にも値段を付けることがあります。では、買収額にその評価が入っていれば、創業者がその後にした発明の権利も買い手のものになるのか。大阪地裁は平成22年11月18日、補修工事会社の買収をめぐる事件で、それだけでは権利の承継の合意があったとは認められないと判断しました。この記事では、判決文をもとに、何が起きたか、何が争われたか、株式譲渡の前に確かめることを整理します。

この事件は、株式譲渡のトラブル・判例74件の分析の類型5「売り手・旧経営者との譲渡後の争い」の事例です。

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<a href="https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/hoshu-kouji-tokkyo-baishuu/">買収額に技術の評価が入っていても特許は移っていなかった――創業者から全株式を1億円で買った補修工事会社の特許をめぐる大阪地裁 平成22年11月18日判決|株式会社日本財務戦略センター</a>文章での出典表記:株式会社日本財務戦略センター「買収額に技術の評価が入っていても特許は移っていなかった――創業者から全株式を1億円で買った補修工事会社の特許をめぐる大阪地裁 平成22年11月18日判決」(2026年10月12日) https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/hoshu-kouji-tokkyo-baishuu/
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先に結論

事件の概要と時系列

原告は、土木建築工事業等を目的とする会社です。買収された会社(以下「旧会社」)は、創業者が平成8年頃に設立した、補修工事を主な業務とする会社で、創業者夫妻が全株式を持っていました。被告は、創業者が平成7年に設立し、代表取締役を務める会社で、建築用資材の販売を主な業務としていました。会社名は、この記事では伏せます。

時期出来事
平成11年〜平成15年旧会社が、創業者を発明者とするものを含む補修工法などの特許出願をする
平成14年頃から原告が、旧会社に従業員を派遣して補修工事のノウハウを学び、被告から補修工事用の材料を買って補修工事の事業を始める
平成16年1月〜2月原告が税理士法人に旧会社の株価を算定させる。当初の報告は類似業種比準価格で総額1826万円、時価純資産価格で総額836万7000円。創業者の希望額1億円と大きく離れていたため、原告は希望額に近づくよう算定を求め、見直し後の算定では総額6600万6000円〜7225万3200円
平成16年3月15日合併契約。原告が創業者夫妻から旧会社の全株式を総額1億円で買い取ることで合意(判決時点で支払われたのは7000万円)
平成16年6月1日原告が旧会社を吸収合併。創業者は原告の代表取締役にも就任(平成19年12月まで)
平成16年12月3日創業者が、自分を出願人として特許出願(のちの特許1)
平成17年10月〜平成19年2月被告が、創業者を発明者として特許出願(のちの特許2・3と、審査中の出願5件)
平成19年初め原告のメンテナンス事業部の大幅な赤字が判明。原告の取締役は原因が被告との取引にあると考え、協議したが解決に至らず
平成19年10月25日創業者の退任を前提に、原告の代表者と創業者が、合併当初の合意内容を確認する「合併に伴う確認書」を取り交わす
平成19年11月特許1の出願人名義を創業者個人から被告に変更。原告は、旧会社の出願から登録された特許権7件の原告の持分を、被告に無償で譲渡する
平成19年12月創業者が原告の取締役を退任
平成21年原告が被告を提訴(平成21年(ワ)第297号)
平成22年11月18日大阪地裁が請求を棄却

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原告は、被告名義の特許権3件の移転登録と、出願中の5件について原告が特許を受ける権利を持つことの確認を求めました。

何が争われたか

  1. 発明者は誰か、職務発明か:原告は、特許の一部は原告の従業員が発明したもので、どの発明も原告か旧会社の職務発明だと主張しました。被告は、すべて創業者の発明で、多くは合併前にされていたと主張しました。
  2. 特許を受ける権利の承継の合意があったか:原告は、旧会社が創業者の発明を旧会社の名義で出願していたこと、株価が特許を含めて算定されたこと、原告の代表者が1億円という買収額は創業者の技術と先見性を含めた金額だと説明していたことなどから、創業者との間で承継の合意があったと主張しました。被告は、そのような合意はないと主張しました。
  3. 移転登録を求められるか:原告は、創業者が原告の取締役会の承認なしに特許を受ける権利を被告に譲ったのは無効で、被告の出願は原告の出願と同視すべきだとして、最高裁 平成13年6月12日判決の考え方により移転登録が認められると主張しました。

裁判所の判断

承継の合意は認められない

大阪地裁は、まず承継の合意を検討し、合意が認められない以上、発明者が誰か、職務発明かを判断するまでもなく、請求は理由がないとしました。

旧会社と創業者の間:旧会社が創業者の発明を旧会社の名義で出願していた事実は認めました。しかし、旧会社には職務発明の権利を会社に承継させる勤務規則も、その旨の契約書もなく、当時の代表者は創業者自身でした。判決は、それは出願のたびに創業者の判断で個別に権利を移していたことを示すにすぎず、将来にわたる一般的包括的な合意があったとは推認できないとしました。

原告と創業者の間:買収額が税理士法人の評価から1億円に増えた経緯は認めました。しかし、原告の代表者は、法廷では、合併後の創業者の発明を原告の名義で出願することを話したことはないと明言していました。創業者は、1億円になったのは、ウォータージェットの機械を通常の方法で減価償却し直せば株価を高く評価できると説明したからだと供述しており、判決は、会社の資産の評価としてはこの供述の方が合理的であるとしました。そのうえで、冒頭の結論で引いたとおり、1億円の提案を受け入れたことだけでは、承継の合意には「ほど遠い」としています。

関係を解消する際の「合併に伴う確認書」にも、発明の権利の帰属の記載はありませんでした。判決は、「P2のする発明の承継について上記確認書に記載されていないということは,そのような点についての合意がされていなかったことをむしろ推認させるといえる。」と述べています。税理士法人の株価算定に旧会社の特許が含まれていた点も、特許が旧会社の資産である以上、「これらを評価対象として含むことは当然であり」、合意の存在を推認させるものではないとしました。

従業員との間:原告が発明者だと主張した従業員についても、勤務規則や契約書はなく、ある従業員は、権利の帰属は「その都度話合いで決めることになると思っているという程度の認識しかなかった」と認定されています。

なお、特許1の出願費用は原告の預金から支払われていましたが、判決は、創業者は自分の名義で出願しているので、それをもって原告に権利を承継させる意思があったとは認められないとしました。創業者が代表取締役として自分の会社の名義で出願した点の問題については、「仮にP2のした特許出願に主張に係る問題点があったとしても,それは原告の請求を根拠づけるものではない。」としています。

仮に承継していても、移転登録は求められない

判決は念のためとして、仮に承継が認められても移転登録請求は認められないと判断しました。当時の特許法は、発明者等でない者の出願(冒認出願)による特許を無効とする仕組みで、真の権利者が冒認出願者に特許権の移転登録を求めることはできない構造になっていると解したためです。

最高裁 平成13年6月12日判決は、特許を受ける権利の共有者が自ら特許出願をしていたなどの事情の下で、例外的に移転登録の請求を認めたものです。大阪地裁は、この事件の事実関係は典型的な冒認出願と異ならず、また「原告自身は,特許出願を全くしていないのであるから」、特許権を原告の特許を受ける権利が変形したものとみる余地はないとして、同判決の考え方は及ばないとしました。

この判決から何がいえるか

本件では、買収額を1億円に増やした提案を受け入れたことだけでは、創業者が将来する発明について特許を受ける権利を会社に承継させる合意があったとは認められませんでした。判決は、1億円になった理由についても、ウォータージェットの機械の減価償却を見直したという創業者の供述の方が、会社の資産の評価として合理的だとしています。旧会社が創業者の発明を会社名義で出願してきた実績も、勤務規則や契約書がなく代表者が創業者自身だった事情の下では、個別の出願ごとの判断にすぎないとされました。買収額と権利の承継の関係について、どの事案にも当てはまる一般的なルールを示した判決ではありません。権利の承継を主張する側は承継の合意を具体的に示す必要があり、本件のように勤務規則や契約書がない状態では、それが難しかったということです。

一方で、この判決には時代による限界があります。移転登録請求を退けた部分は、当時の特許法を前提にしています。平成23年の特許法改正で、冒認出願などによる特許について、真の権利者が特許権の移転を請求できる規定(特許法74条)が設けられました。職務発明の規定(特許法35条)も、平成27年の改正で、勤務規則等であらかじめ定めれば職務発明の特許を受ける権利を最初から会社に帰属させられるようになっています。現在の事案で同じ結論になるとは限りません。

また、創業者が原告の代表取締役でありながら自分の会社の名義で出願したことについて、原告は会社法356条(競業取引の制限)を挙げて主張しましたが、判決は承継の合意がない以上、請求の根拠にならないとしただけで、取締役としての責任は判断していません。株式譲渡後の商標・特許・商号をめぐる他の事例は、株式譲渡のトラブル・判例74件の分析の類型5で整理しています。

株式譲渡で確認すること(この判決から導ける示唆)

以下は判決から導いた確認事項で、裁判所が述べたものではありません。

  1. 権利の名義を一件ずつ確かめる:対象会社の名義の特許・出願だけでなく、創業者個人や創業者の別会社の名義になっている特許・出願も洗い出します。この事件では、旧会社の名義の出願と、創業者の別会社の名義の出願が並んでいました。
  2. 技術に払う対価は、契約に権利として書く:買収額に技術や人の評価を含めるなら、どの特許・出願・ノウハウが対象会社に属するのか、創業者や別会社の持つ権利を譲り受けるのかを、株式譲渡契約や付随する契約に明記します。株価の算定書に特許が載っていても、それだけでは足りないと考えられます。
  3. 残る創業者の将来の発明の扱いを決める:売り手が役員として残る場合、在任中の発明の帰属、出願の名義、退任後の扱いを、役員の契約や職務発明の規程で定めておきます。この事件では、対象会社にも買い手にも職務発明の勤務規則がありませんでした。
  4. 関係者の会社との取引を確かめる:この事件では、買い手は創業者の別会社から材料を買い続け、赤字の原因がその取引にあると考えるようになりました。創業者の別会社との取引条件や、退任時の扱いも、譲渡前に確認することが考えられます。

判決の出典

この判決に対する控訴の有無と確定については、2026年10月12日時点の公開情報では確認できていません。個人は判決の伏字か立場で書いています。

よくある質問

Q. 株式の買収額に創業者の技術の評価が入っていれば、創業者の発明の権利も買い手のものになりますか?

この判決では、なりませんでした。買収額を1億円に増やした提案を受け入れたことだけでは、創業者の将来の職務発明について特許を受ける権利を会社に承継させる合意があったとは認められないとしています。ただし、これは勤務規則も契約書もなかったこの事件の事情の下での判断で、どんな場合でも承継が否定されるという一般的なルールを示したものではありません。権利を移すなら、契約で具体的に定めておくことが考えられます。

Q. 対象会社が創業者の発明を会社の名義で出願してきた実績があれば、包括的な合意があったといえますか?

判決は、勤務規則や契約書がなく、代表者が創業者自身だった事情の下では、それは出願ごとに個別に権利を移していたことを示すにすぎないとしました。将来の発明まで含む一般的包括的な合意は推認されませんでした。

Q. 他人が勝手に出願して取った特許を、真の権利者が取り戻すことはできますか?

この判決は、承継が認められないとした後に「念のため」の判断として、当時の特許法の下では移転登録を求めることはできないとしました。その後、平成23年の改正で、冒認出願などによる特許について特許権の移転を請求できる規定(特許法74条)が設けられています。現在の事案では、この規定の要件を含めた検討が必要です。

Q. 創業者が代表取締役のまま自分の会社の名義で出願したことは、問題にされなかったのですか?

原告は取締役会の承認がない競業取引だと主張しましたが、判決は、承継の合意が認められない以上、その問題は原告の請求の根拠にならないとしただけで、創業者の取締役としての責任は判断していません。

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この記事は、裁判所が公開している判決文(2026-10-12時点)をもとに、判決が認定した事実と判断を整理したものです。判決の評価にあたる言葉は、判決の文言をカギカッコで引用したものに限っています。判決に出てくる個人は、判決自身の伏せた表記か続柄だけで書いています。株式会社日本財務戦略センターが当事者の主張の当否や、現在の会社・商品について評価するものではありません。上級審や確定の有無は、記事中に書いたもの以外は確認できていません。個別の契約や紛争については、弁護士などの専門家にご相談ください。
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五十嵐悠一
監修・執筆責任者
株式会社日本財務戦略センター 代表取締役。京都大学経済学部経営学科(マーケティングゼミ専攻)卒。損害保険ジャパン本店営業部(企業リスク・法務)を経て、東証上場M&A仲介会社にて多数の成約に従事。2020年に株式会社日本財務戦略センターを創業し、M&A・事業承継・財務戦略を専門としています。中小企業庁 M&A支援機関登録事業者/一般社団法人M&A支援機関協会 正会員です。