持分を譲るときの「一切の請求権を放棄する」誓約書は本人が作ったと認められなかった――共同設立した有限会社の元代表者に職務発明の対価192万円(東京地裁 平成16年7月23日判決)

持分を譲るときの「一切の請求権を放棄する」誓約書は本人が作ったと認められなかった――共同設立した有限会社の元代表者に職務発明の対価192万円(東京地裁 平成16年7月23日判決)

会社の持分や株式を譲って経営から退くとき、「今後は会社に何も請求しません」という趣旨の書面を受け取っておきたい、と考える買い手やオーナーは多いはずです。しかし、その書面が本人の意思で作られたと認められなければ、後から請求を受けることになります。この事件では、共同で有限会社を設立して代表を務めた人が、代表を辞任し、持分40口を100万円で譲った後、会社に職務発明の対価などを求めました。会社は一切の請求権を放棄する誓約書があると主張しましたが、東京地方裁判所はその誓約書を本人が作ったものとは認めず、相当の対価192万円の支払を命じました。この記事では、判決文をもとに、何が起きたか、何が争われたか、持分や株式を譲り受けるときに確かめることを整理します。

この事件は、株式譲渡のトラブル・判例74件の分析の類型5「売り手・旧経営者との譲渡後の争い」の事例です。

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<a href="https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/yuugen-mochibun-jouto-seiyakusho/">持分を譲るときの「一切の請求権を放棄する」誓約書は本人が作ったと認められなかった――共同設立した有限会社の元代表者に職務発明の対価192万円(東京地裁 平成16年7月23日判決)|株式会社日本財務戦略センター</a>文章での出典表記:株式会社日本財務戦略センター「持分を譲るときの「一切の請求権を放棄する」誓約書は本人が作ったと認められなかった――共同設立した有限会社の元代表者に職務発明の対価192万円(東京地裁 平成16年7月23日判決)」(2026年10月12日) https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/yuugen-mochibun-jouto-seiyakusho/
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先に結論

事件の概要と時系列

会社は、健康食品の販売等を目的とする有限会社です(判決は会社名を実名で書いていますが、この記事では伏せます)。原告は会社の設立時からの代表取締役で、発明者です。判決の伏字に合わせて、原告をA、もう一人の設立者で現在の代表者をB、Aから話合いを委託された人をCと書きます。

時期出来事
平成11年頃Aが、発酵した大豆から抽出される成分を使った健康食品の研究をBに話し、Aが知的財産権を、Bが出資金300万円を出して会社を設立することにする
平成11年11月〜平成12年1月設立総会を経て会社を設立。Aが代表取締役に(Aはその後200万円を出資)
平成12年2月頃会社が東京都中小企業振興公社に助成金1,000万円を申請(6月に877万円の交付決定。のちに447万8,000円に減額)
平成12年3月13日Aが、出願人を会社、発明者をAとして特許出願(平成15年10月17日に特許第3482558号として登録)
平成12年12月〜平成13年2月Aが会社の口座から80万円を技術指導の報酬として、84万円を原材料代として支払う
平成13年3月8日BらがAに代表の辞任を求め、Aは助成金の交付を受けるまで辞任しないこと、助成金の分配を話し合うことで合意。同日、Aが会社から120万円を借りているとする念書を作成
平成13年4月Bが合意に反して辞任の登記をし、自ら代表取締役に(4月10日登記)。4月17日に助成金が交付される
平成13年5月Aが、人件費などの支払と、特許権の譲渡の対価・助成金の分配についての話合いを求める
平成13年6月23日臨時の総会。当時の持分はAが40、Bが60
平成13年12月9日中国への旅行で出席できないAから委託を受けたCがBらと会い、Aの持分をBに譲る覚書を作成
平成13年12月18日A自身が出席。譲渡承認の申請書を作り、覚書に自ら署名押印。持分40口を代金100万円で譲渡する契約書を作成
平成14年Aが代理人の弁護士を通じて人件費等を請求し、10月に提訴(第1事件)
平成15年会社がAに120万円の支払とパソコンの引渡しを求めて提訴(第2事件)
平成16年7月23日東京地裁が判決(相当の対価192万円を認容)

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第1事件と第2事件は、一つの判決でまとめて判断されています。

何が争われたか

  1. 人件費の請求:Aは、会社が助成金の申請書にAの業務の単価と金額を書いていたことから、225万円の労働契約があったと主張し、交通費を加えた231万円を求めました。
  2. 特許権の帰属:Aは、発明は会社の設立前に完成していて職務発明ではなく、出願人欄に会社名を書いたのは、そこに書いた者に特許権が帰属すると知らなかったからで、会社に譲る意思はなかったと主張し、特許権の移転登録を求めました。予備的に、職務発明であれば相当の対価を払うよう求め、当時の助成金の交付決定額877万円の2倍を相当の対価とし、そのうち877万円を請求しました。
  3. 一切の請求権を放棄する誓約書:会社は、Aが持分を譲った平成13年12月18日に、会社に対する一切の請求権を放棄する誓約書を出したと主張しました。Aは、誓約書は偽造で、Bからファックスで送られてくるまで存在を知らなかったと主張しました。
  4. 横領金の準消費貸借:会社は、Aが会社の金銭154万円を横領し、そのうち120万円を貸金とする合意(準消費貸借)をしたと主張しました。Aは、念書は深夜まで帰さないなどと言われて作らされたもので、金銭は技術指導の報酬と原材料代に払ったと主張しました。

裁判所の判断

人件費――労働契約は認められない

判決は、助成金の申請書は助成金を受けるために作られた書類で、その記載だけで労働契約の成立は認められないとしました。助成金を分配して支払う合意はあったものの、その趣旨や額は定かでないとして、請求を退けました。

特許権――職務発明で、会社に承継されていた

判決は、健康食品の基本となる発明(請求項1)はAの単独発明、漢方薬を配合した発明(請求項2)はAとBの共同発明と認めました。そのうえで、出願当時、会社でのAの職務が発明の研究開発全般にわたっていたこと、設立から出願までの約4か月の間に講演や配合の会議をしていたことなどから、職務発明に当たるとしました。Aが商品化のために会社を設立して代表取締役になり、会社を出願人として出願していることから、特許を受ける権利を会社に承継させる黙示の合意があったとして、移転登録の請求を退けました。

誓約書――本人の意思による作成とは認められない

判決は、誓約書に押されたAの印影は、Aの印鑑によるものと「極めて類似し,同一のもののように見受けられる」としながらも、次の事情を挙げました。

判決は、これらの事情のある本件では、印影があることだけで、誓約書がA自身の意思で作られたと推認することはできないとしました。民事訴訟法228条4項は、私文書は、本人またはその代理人の署名または押印があるときは、真正に成立したものと推定すると定めています。判決はこの条文に触れていません。本件は、印影が本人の印鑑によるものに見えても、書面の体裁や前後の経緯から、本人の意思による作成と推認されなかった事例です。

相当の対価――192万円

判決は、会社がまだ商品化に成功していないものの、特許権によって他社の実施を禁止できる利益を受けていること、発明が評価されて助成金447万8,000円の交付を受けていることなどを総合して、会社が受けるべき独占の利益を400万円としました。発明の基礎となる部分は会社の設立前にほぼ完成しており、会社は助成金を受けるまで資金がなく、Aに人件費も払っていなかったことから、会社の貢献度は多く見積もっても4割、共同発明者の間でのAの貢献度は8割として、「192万円(400万円×0.6×0.8)と認めるのが相当である。」としました。会社が主張した、出願費用と将来の取締役報酬を対価とする合意は、裏付ける客観的な証拠がないとして認めませんでした。400万円という独占の利益の額や、4割・8割という貢献度は、本件の発明の内容や設立前後の研究の経過、会社の資金状況などに基づいて判断されたもので、一般的な基準を示したものではありません。

会社の請求――横領は認められず、パソコンの引渡しだけ

判決は、Aが引き出した80万円は技術指導の契約に基づいて支払われ、84万円は原材料代として支払われたもので、会社の事務の処理として行ったものだから、横領とはいえないとしました。元になる債権がないので準消費貸借は成り立たないとして、120万円の請求を退けました。パソコンについては、譲り受けたという合意を裏付ける証拠がないとして、会社への引渡しを命じました。

この判決から何がいえるか

持分や株式を譲って退く人から「一切の請求権を放棄する」書面を受け取っていても、その書面が本人の意思で作られたと認められなければ、放棄の効果は認められない、ということです。本件では、上に挙げた体裁と経緯の事情が重ねて考慮されました。

また、この判決は、取締役であるAが会社の業務としてした発明を職務発明と認め、会社が特許を受ける権利を承継していたとして、相当の対価の請求権を認めました(判決当時の特許法35条1項・3項)。この事件では、持分の譲渡代金100万円とは別に、職務発明の対価192万円が認められています。誓約書による放棄の主張が採られなかったため、持分を譲った後も対価の請求権が残っていたことになります。

一方で、判決が判断していないこともあります。判決は、Aの持分の譲渡の効力や代金の額の当否を判断していません。Aが主張した、持分を安く譲る代わりに会社への債務を清算するという合意についても、横領の債権自体が認められなかったため、判断の対象になっていません。また、判決が適用したのは平成16年改正前の特許法35条です。同条はその後、平成16年改正(平成17年4月1日施行)で対価の決め方についての規定が加わり、平成27年改正(平成28年4月1日施行)で相当の対価が相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)に改められ、勤務規則などで特許を受ける権利を初めから会社に帰属させることもできるようになりました。判決が根拠とした当時の35条3項(相当の対価)に対応する規定は、現在は35条4項(相当の利益)です。現在の事件にこの判決の計算がそのまま当てはまるとは限りません。有限会社についても、平成18年の会社法施行で有限会社法は廃止され、現在ある有限会社は特例有限会社として会社法の適用を受けています。株式を譲った後の旧経営者との特許・商標・商号の争いは、株式譲渡のトラブル・判例74件の分析の類型5で整理しています。

株式譲渡で確認すること(この判決から導ける示唆)

以下は判決から導いた確認事項で、裁判所が述べたものではありません。

  1. 放棄や清算の条項は、譲渡契約の本体に入れ、本人の署名押印を受ける:この事件では、誓約書に本人の署名がなく、覚書の「別項の誓約書」がどの書面を指すのかも特定されていませんでした。請求権の放棄や清算を合意するなら、持分や株式の譲渡契約そのものに条項を入れ、本人の署名と押印を受けることが考えられます。
  2. 代理人が関わるときは、代理権の範囲を書面で確かめる:この事件では、本人の代わりに話合いに出たCが覚書に押印し、本人は9日後、Cにはそのような書面を作る代理権を与えていなかったとして、ほぼ同じ文面の覚書に自ら押印し、Cの押印のある覚書にも署名押印していました。誓約書には本人とCの両方の印が押されていました。代理人が書面に押印するときは、委任状で代理権の範囲を確かめておくことが考えられます。
  3. 相手が求めている請求を、放棄の対象として名指しする:この事件のAは、持分を譲った日の前後を通じて助成金の分配を求め、人件費や特許権の対価についての話合いも求めていました。判決は、そのAが一切の請求権を放棄したという主張を不自然としています。譲り渡す人が交渉中に求めていた人件費、助成金の分配、特許の対価などを放棄・清算の対象として具体的に書き、その対価をいくらで清算するのかを契約に示しておくことが考えられます。
  4. 譲り渡す人が関わった特許・出願を洗い出す:譲り渡す人が会社の業務としてした発明があれば、相当の対価(現在は相当の利益)の請求が問題になることがあります。対象会社の特許・出願の発明者、会社への承継の経緯、職務発明の規程の有無を確認し、対価の扱いを譲渡のときに決めておくことが考えられます。

判決の出典

控訴の有無と確定の有無は、2026年10月12日時点の公開情報では確認できていません。個人は判決の伏字で書いています。

よくある質問

Q. 持分や株式を譲る人から「一切請求しない」という誓約書をもらえば、後から請求されませんか?

書面が本人の意思で作られたと認められることが前提です。この判決では、誓約書に本人の署名がなく、印が記名から離れて上下逆さに押されていたこと、本人が前後一貫して支払を求めていたことなどから、本人の意思による作成とは認められず、放棄の主張は採られませんでした。

Q. 取締役の発明でも職務発明になりますか?

この判決は、取締役であったAの発明について、会社の業務の範囲に属し、発明に至った行為が会社での職務に属するとして、職務発明に当たると判断しました。特許法35条1項は、判決当時も現在も、従業者等に法人の役員を含めています。ただし、職務発明に当たるかどうかは、会社の業務の範囲や発明に至った経緯などの事情によって判断されます。

Q. 相当の対価は、どのように計算されましたか?

会社が受けるべき独占の利益を400万円とし、会社の貢献度を4割(発明者側6割)、共同発明者の間でのAの貢献度を8割として、400万円×0.6×0.8=192万円としました。それぞれの額や割合は本件の事情に基づいて判断されたもので、一般的な基準ではありません。判決が適用したのは平成16年改正前の特許法35条で、現在は相当の利益の規定(35条4項)に改められています。

Q. 持分を譲った代金とは別に、対価を請求されることがあるのですか?

この事件では、持分40口の代金100万円とは別に、職務発明の相当の対価192万円が認められました。持分や株式の代金で清算する範囲を、譲渡契約で具体的に決めておくことが考えられます。

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この記事は、裁判所が公開している判決文(2026-10-12時点)をもとに、判決が認定した事実と判断を整理したものです。判決の評価にあたる言葉は、判決の文言をカギカッコで引用したものに限っています。判決に出てくる個人は、判決自身の伏せた表記か続柄だけで書いています。株式会社日本財務戦略センターが当事者の主張の当否や、現在の会社・商品について評価するものではありません。上級審や確定の有無は、記事中に書いたもの以外は確認できていません。個別の契約や紛争については、弁護士などの専門家にご相談ください。
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五十嵐悠一
監修・執筆責任者
株式会社日本財務戦略センター 代表取締役。京都大学経済学部経営学科(マーケティングゼミ専攻)卒。損害保険ジャパン本店営業部(企業リスク・法務)を経て、東証上場M&A仲介会社にて多数の成約に従事。2020年に株式会社日本財務戦略センターを創業し、M&A・事業承継・財務戦略を専門としています。中小企業庁 M&A支援機関登録事業者/一般社団法人M&A支援機関協会 正会員です。