
会社を株式譲渡で売るとき、買い手の資金が足りず、事業の一部を外して代金を下げることがあります。外した部分を、いったん売った会社の中に残したまま、後で売り手側に戻す。そのあいだの利益や、入居者から預かったお金は誰のものになるのか。有料老人ホームの運営会社の売買をめぐる東京地裁 平成29年3月15日判決は、契約書に書いていない清算を後から求めた売り手側の請求をすべて退けました。この記事では、判決文をもとに、何が起きたか、何が争われたか、事業譲渡で確かめることを整理します。
この事件は、事業譲渡のトラブル・判例62件の分析の類型3「そもそも事業譲渡は成立していたのか(契約書・書面)」の事例です。
<a href="https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/rouzin-home-kabushiki-jigyou/">株式譲渡から1施設だけを外し、後で事業譲渡にしたとき、契約書にない利益の清算は求められるか――有料老人ホームの売買をめぐる東京地裁 平成29年3月15日判決|株式会社日本財務戦略センター</a>文章での出典表記:株式会社日本財務戦略センター「株式譲渡から1施設だけを外し、後で事業譲渡にしたとき、契約書にない利益の清算は求められるか――有料老人ホームの売買をめぐる東京地裁 平成29年3月15日判決」(2026年10月12日) https://jfsc.jp/research/ma-hanrei/rouzin-home-kabushiki-jigyou/対象会社は、平成12年頃から有料老人ホーム事業を行い、7施設を運営していた会社です。原告は、対象会社の全株式を持ち代表取締役だった個人(売り手)と、その個人が代表を務める会社(施設を引き継いだ会社)です。被告は、一般労働者派遣事業などを目的とする会社(買い手)と、対象会社です(判決は会社名と施設名を実名で書いていますが、この記事では伏せます)。売買の対象は、対象会社とグループ会社2社の全株式で、対象会社の施設に出張診療をしていた医療法人の承継の斡旋も含まれていました。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 平成24年6月頃 | 売り手が、知人の紹介者(大手介護事業者の役員)に買い手探しを依頼 |
| 平成24年8月31日 | 買い手が3億4263万円を提案。売り手は3億5000万円なら売ると回答し、医療法人を1億円で一緒に引き受けるよう求める |
| 平成24年10月4日 | 「事業継承申込書」を交わす。事業承継金額4億5000万円の精査のため資料を開示し、DDへ |
| 平成24年12月頃 | 買い手が銀行から借入れできなくなり、7000万円不足するとして、施設を1か所外して代金を3億8000万円に、半年後までに資金ができれば外した施設も7000万円で承継すると申し入れる |
| 平成25年1月17日頃 | 基本合意書。敷地と建物を売り手の親族が所有する1施設を外す |
| 平成25年2月18日 | 株式譲渡契約。代金3億8000万円を支払い、株式が移る |
| 平成25年8月16日 | 買い手が、外した施設を4000万円で承継したいと申し込む。売り手は7000万円でないとして断る |
| 平成26年2月 | 対象会社が入居者向けに運営懇談会を開き、事業譲渡による移行で施設を廃止する届出。施設を引き継ぐ会社が設置届 |
| 平成26年4月1日 | 施設を引き継いだ会社が運営を開始 |
| 平成29年3月15日 | 東京地裁が請求をすべて棄却 |
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基本合意書9条は、施設の分離について次のように定めていました。1項は、分離のための行政手続に約4か月かかるため、承認されるまでは行政上の運営の名義を対象会社のままとするというものです。2項は、施設の「日常の運営によって生ずる債権債務,入居者関連の債権債務,建物賃貸借契約関連の債権債務その他これらに準ずる債権債務」は受け渡し日をもって精算し、その他の債権債務は分離後の施設は継承しないとし、詳細は必要なら別途協議して覚書を結ぶ、というものです。12条は、買い手が外した施設を将来譲り受けたいと希望し、平成25年12月31日までに申し出ると定めていました。株式譲渡契約書6条は、代金にこの施設の事業が含まれないことを確認していました。
交渉はすべて紹介者を通じて行われ、売り手と買い手の代表者が会ったのは契約の日くらいで、その日も雑談程度でした。判決は、紹介者の役割は仲介者にとどまるとしています。
被告側は、合意はなく、預り金は保全措置がとられておらず対応する預金もなかったと主張しました。さらに予備的に、施設の改修費、借入金の一部、本社管理費、運営の報酬との相殺も主張しました。
判決は、売り手と買い手が選んだのは、施設を売り手の手元に残すのではなく、対象会社を買い手の完全子会社にして7施設をいったん買い手の支配下に置き、行政手続を待って1施設を分離し、売り手の指定する会社に事業譲渡するという方法だったと整理しました。そのうえで、分離の際にどこまでの債権債務を承継し、どう清算するかは、代金の妥当性を判断するうえで重要な要素であり、基本合意書9条2項に覚書の定めもあることから、別の取決めがない限り、「覚書などにより別途の取決めをしない限りは、専ら本件基本合意書及び本件株式譲渡契約書の規定に従って行うというのが、当事者の合理的意思に合致するというべきである。」としました。
契約書は、債権債務にあたらない資産や特定の期間の損益の承継・清算について何も定めていないので、特段の事情がない限り、清算はしない合意だとしました(施設の備品など、事業譲渡に当然伴う資産の承継は否定していません)。判決は、事業譲渡で譲受人が何を承継するかはもっぱら契約で定まるとした最高裁の判例を引用し、分離までの間の利益の分配については様々な取決めができたのに、「あえて本件基本合意書9条2項以外の取り決めをしなかったというのが、本件の実態であるとみるべきである」としました。代金が4億5000万円から3億8000万円に減らされたことからも、売り手側の主張する合意内容が一義的に決まるわけではないとしています。
売り手は当時、対象会社の代表取締役で全株主だったので、施設の利益や介護保険の収入があることを知っていたか、容易に分かったはずなのに、清算の条件を示しませんでした。判決は、利益を受け取るなら、「事業利益がなく、損失が発生したときも、同原告又はその指定する者が負担するというのでなければ、態度が一貫していないというべきであろう。」とも述べています。買い手が清算の可能性を考えて代金を検討した形跡もなく、売り手側の主張は買い手に「不測の損害を与えるものというほかはない」としました。株式譲渡の時点で未払だった介護保険料も、事業譲渡の完了前に支払済みで、承継の対象となる債権ではないとしています。
不当利得も、対象会社は事業譲渡の完了まで法律上も実際も施設を運営していたので、利益を得る地位にあったとして退けました。株式譲渡から事業譲渡までの間、施設は従前どおり対象会社が運営し、会計上の分離もされず、売り手に相談したり指示を受けたりすることもなかったと認定されています。
判決は、施設の事業を承継する合意は成立し、入居者への返還債務は基本合意書9条2項の入居者関連の債権債務にあたるとして、施設を引き継いだ会社が引き受けたと認めました。入居者に運営主体の変更を説明して同意書をとったこと、実際に退去者に返還していることも理由に挙げています。
しかし、この施設では保全措置がとられておらず(判決は、平成18年3月31日までに設置の届出をした施設は当時の老人福祉法29条7項の保全措置が義務付けられていなかったと述べています)、預り金に対応する預金もありませんでした。返還は、引き継いだ資産や新たな収入からその都度払うものだとして、対象会社が預り金相当額の債権を持っていたとはいえず、相当額を払う合意も認めませんでした。売り手は保全措置がないことを知っていたか容易に分かったはずなのに、相当額を払う条件を示していなかったことも理由です。合意が認められない以上、相殺の主張は判断していません。不当利得も、返還債務を引き受けた以上、法律上の原因のない損失はないとして退けました。
施設が紹介誌の2号に載らなかったことは認めましたが、施設を引き継いだ会社自身が掲載を申し込んでいなかったことがうかがわれ、対象会社に申し込む義務があったとも認められないとしました。虚偽の説明があったとする陳述書は「単なる伝聞ないし推測の域を出るものではないといわざるを得ない」とし、入居者数の減少も、自社で作った書面しか根拠がなく、1頁に40以上の施設を並べる表への掲載がどれだけ入居に効くかも明らかでないとして、因果関係も否定しました。
株式譲渡と事業譲渡を組み合わせ、事業の一部を後で売り手側に戻す取引では、戻すまでの期間の利益や預り金の扱いを契約書に書いていなければ、後から、代金を減らしたのだから清算されるのが当事者の合理的な意思だと主張しても、本件では認められなかった、ということです。判決は、契約書に覚書で詳細を決める規定があったことも、それ以外の取決めをしなかった根拠としました。
一方で、判決は、施設を事業譲渡する合意そのものの成立や、返還債務の引受けは認めています。否定されたのは、契約書の規定を超える金銭の支払の合意です。また、利益の清算の合意が一般に成立しないとしたわけではなく、この取引で、売り手が対象会社の代表者で全株主として事情を知っていたのに条件を示さなかったこと、買い手がその可能性を考えて代金を検討した形跡がないことが重視されています。相殺の主張(改修費、借入金、本社管理費、運営の報酬)は判断されていません。類型3のほかの事例は、事業譲渡のトラブル・判例62件を分析で整理しています。
以下は判決から導いた確認事項で、裁判所が述べたものではありません。
2026年10月12日に裁判所の公開情報で確認した範囲では、この判決に対する控訴や上級審の判決は確認できていません。個人は立場で、会社は目的とする事業や役割で書いています。
Q. 株式譲渡で事業の一部を外して代金を減らしたら、外した事業の利益は売り手側に戻りますか?
この判決では、戻すことを定めた規定が基本合意書と株式譲渡契約書になかったため、利益の清算の合意は認められませんでした。判決は、清算は別の取決めがない限り契約書の規定に従って行うのが当事者の合理的意思だとしています。
Q. 事業譲渡で入居者への返還債務を引き受けたら、譲渡した側から相当額をもらえますか?
この判決では、返還債務の引受けは認められましたが、相当額を受け取る合意は認められませんでした。保全措置がなく対応する預金もなかったこと、契約書に定めがなかったことが理由です。相当額の受け渡しを求めるなら、契約書で決めておく必要があります。
Q. 外した施設を売り手側に事業譲渡する合意は、成立していたのですか?
判決は、施設の事業を承継する合意が成立し、施設は売り手側の会社に移ったと認定しています。争われたのは、その合意に、契約書に書いていない利益や預り金相当額の支払が含まれていたかどうかです。
Q. 被告の相殺の主張はどう判断されましたか?
判断されていません。預り金相当額を支払う合意自体が認められなかったため、判決は相殺の可否を検討するまでもないとしました。
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この記事は、裁判所が公開している判決文(2026-10-12時点)をもとに、判決が認定した事実と判断を整理したものです。判決の評価にあたる言葉は、判決の文言をカギカッコで引用したものに限っています。判決に出てくる個人は、判決自身の伏せた表記か続柄だけで書いています。株式会社日本財務戦略センターが当事者の主張の当否や、現在の会社・商品について評価するものではありません。上級審や確定の有無は、記事中に書いたもの以外は確認できていません。個別の契約や紛争については、弁護士などの専門家にご相談ください。
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