
会社を売ろうと考えたとき、「M&Aでトラブルにならないか」と不安になる方は多いと思います。この記事では、国の公表資料、報道、本、裁判例、統計を1つずつ調べ、中小企業のM&A(第三者への事業承継)で実際に何が起きているのかをまとめました。後半では、親族への承継で起きている争いと、経営承継円滑化法の制度がどれだけ使われているかも、同じように公開資料から確かめています。
<a href="https://jfsc.jp/research/ma-succession-trouble-japan/">M&A・事業承継のトラブルは、何がどれだけ起きているのか ── 会社を売る前に確かめたいこと|株式会社日本財務戦略センター</a>文章での出典表記:株式会社日本財務戦略センター「M&A・事業承継のトラブルは、何がどれだけ起きているのか ── 会社を売る前に確かめたいこと」(2026年10月2日) https://jfsc.jp/research/ma-succession-trouble-japan/調べた結果から先に書くと、売り手が確かめておきたいのは次の4つです。
なぜこの4つなのかを、以下で順に説明します。
事業承継には、親族に継がせる、従業員に継がせる、外部の第三者に譲る(M&A)の3つの形があります。この記事の前半は第三者への承継(M&A)、後半は親族内の承継と経営承継円滑化法を扱います。
この記事は、トラブルが全国で何件起きているか、何割の取引で起きているかを推計したものではありません。そうした件数はどこにも公表されていないためです。代わりに、公開資料から確認できたトラブルを、資料の種類ごとに調べました。調べた資料は、国の公表(処分・注意)、報道、本、公開されている裁判例、統計の5つです。資料ごとに対象が違うので、件数を資料をまたいで足し合わせることはしていません。
件数の扱いは次のとおりです。報道は、同じ売買を1件とし、複数の媒体の記事や続報、転載は1件にまとめました。本に書かれた事件と報道された事件も足していません。調査基準日は2026年10月1日です。それより後に公表された資料は、この記事を更新するときに加えていきます。
会社の名前は、国・裁判所・官報・会社自身の発表、または実名の報道があるものに限って出し、原典にリンクしています。本にしか出てこない会社は「本書によれば」と書き、日本財務戦略センターが事実を確かめたものではありません。報道や本で名前が伏せられている会社を、別の資料から特定することもしていません。個別の会社の信用や違法性を評価する記事ではないことも、あらかじめお断りしておきます。
なお、日本財務戦略センターも仲介とFAの両方を行っており、中小企業庁の「M&A支援機関登録制度」に登録し、一般社団法人M&A支援機関協会の正会員です。この問題の当事者になり得る側から、公開資料を調べたことになります。

本記事の内容は、出典リンクつきでご自由に引用いただけます(CC BY 4.0・出典に「株式会社日本財務戦略センター(JFSC)」の名称を明記)。コピー用の引用タグは ページ冒頭の枠 にあります。
中小企業庁が最初にこの問題で注意を呼びかけたのは、2024年5月です。「昨今の中小M&A市場における動向を踏まえた周知・注意喚起について」で、報道で「譲り渡し側の経営者保証を引受けることなく、譲り渡し側の現預金等の資産を移行し、譲り渡し側の支払いに問題を生じさせ、倒産に至らせるといった行為を複数回にわたって実施した不適切な譲り受け側の存在が指摘されて」いるとし、「特に経営者保証の引受けを前提に低額の譲渡額での譲り受けを提示されている場合」に注意するよう求めました。
同じ年の8月30日には、「M&Aに関するトラブルにご注意ください」で事例を2つ公表しています。1つは、クロージング(株式の受け渡しと代金の支払い)の後、売り手が何度頼んでも個人保証が買い手に移らず、買い手が会社の現預金を回収したあと会社が倒産し、保証が残っていた元の経営者が個人破産に至った例です。もう1つは、譲渡代金を低くし、その分を後から退職慰労金として払う契約にしたのに、期日が来ても払われなかった例です。
その後、不適切な買い手とのM&Aを支援したとして、国は登録した仲介会社などに次の対応をとりました。
| 公表日 | 内容 | 対象 |
|---|---|---|
| 2024年10月 | 注意と、対策の検討・実施の指示 | 15機関(名称は非公表) |
| 2025年1月24日 | 登録の取消し(初めて)、欠格期間8か月 | 1社(株式会社M&A DX) |
| 2025年1月24日 | 注意と、対策の検討・実施の指示 | 6社(名称は非公表) |
| 2025年3月14日 | 注意と、対策の検討・実施の指示 | 1社(名称は非公表) |
| 2026年9月1日 | 不適切な広告・営業で再度の注意(種類が別) | 1社(名称は非公表・東京都) |
不適切な買い手に関わるものだけで、注意は22、取消しは1です。中小企業庁は2025年1月24日の公表文で、M&A DXについて「資金力に疑義がある不適切な買手であることを認識しながらM&Aを成立させた」として、中小M&Aガイドラインが求める善管注意義務に違反したと判断しています。取り消した会社とは、各都道府県の公的な相談窓口である「事業承継・引継ぎ支援センター」との連携を停止し、注意した6社とも、対策がとられるまで連携の停止を続けるとしました。
国の情報提供受付窓口には、売り手などから情報が寄せられていますが、受け付けた件数は公表されていません。
報道で確認できたものは31件ありました。ただし、すべてが「事件」ではありません。中身で分けると、特定の売買のトラブルを報じた個別の案件が18件、国や業界団体の動きを報じたものが8件、仲介会社の仕組みを報じたものが3件、その他(総括記事・M&Aではない例)が2件です。この記事で事件と呼ぶのは、個別の案件18件だけです。18件の一覧は、媒体へのリンクとともに末尾のAPPENDIX Aに載せています。18件のうち3件は、1つの買い手が複数の会社を買った例として報じられています。
個別の案件18件を、報道された年で並べると、2024年が10件、2025年が4件、2026年(1月から10月1日まで)が4件でした。2021年から2023年の報道は、どれも登録制度の創設や仲介業界の課題を報じたもので、個別の案件はありませんでした。
今回確認できた個別の案件の報道は、2024年に集中しています。ただ、2024年は国が注意を呼びかけ始めた年でもあります。トラブルそのものが増えたのか、それまでもあったものが表に出るようになったのか、その両方なのかは、報道の件数からは分かりません。
ほかに、見出しまでは見えても本文を確かめられなかった事件の候補が5件ありましたが、これは件数に入れていません。読売新聞、毎日新聞、産経新聞、NHKの記事は、取得できたものが少なく、取りこぼしがあると考えられます。
この問題を扱った本のうち2冊について、書かれている事件を調べました。藤田知也『ルポ M&A仲介の罠』(朝日新聞出版、2025年7月)には27件、片田江康男『社喰い』(ダイヤモンド社、2026年7月)には13件の事件が書かれていました。
2冊の間で、同じ売り手を扱った事件は1件もありませんでした。『ルポ M&A仲介の罠』と報道の間で重なったのも5件だけです。どの資料も、同じ事件を少しずつ見ているのではなく、それぞれ違う事件を拾っていることになります。少なくとも、ここで確認できた事件の数をそのまま全体の件数とみなすことはできません。
『ルポ M&A仲介の罠』によれば、公的な事業承継・引継ぎ支援センターが関わった案件でも、保証が外れなかった例が2件あります(新潟県と大阪府)。
裁判所の裁判例検索で、2026年10月1日に語句を入れて検索しました。
| 検索した語句 | 件数 |
|---|---|
| 表明保証 | 18 |
| 株式譲渡契約 | 74 |
| M&A+仲介 | 20 |
| 仲介報酬 | 14 |
| 経営者保証 | 0 |
「経営者保証」で確認できた公開の裁判例は、0件でした。裁判所は裁判例を調べるページで「本裁判例情報には、すべての判決等が掲載されているわけではありません」と断っています。和解で終わったもの、訴えずに終わったもの、判決があっても公開されていないものは、ここには出てきません。0件は「保証をめぐるトラブルがない」という意味ではなく、裁判例だけを見ても実態はつかめない、ということを示しています。
比べる相手として、M&A支援機関登録制度に登録した仲介会社などが国に報告した成約件数(譲渡側)を挙げておきます。2022年が4,036件、2023年が4,681件、2024年が4,940件でした(M&A支援機関登録制度の集計)。登録制度の集計では、年に5千件近い成約が報告されています。一方、報道から確認できた個別の案件は18件でした。ただ、二つは集め方も対象も違うため、18件を成約件数で割って発生率を出すことはできません。
公表された事例を読むと、トラブルは「どんな被害が出たか」と「どこから入ってきたか」に分けて見ることができます。
最も多く出てくるのが、この型です。中小企業の借入には、社長個人が連帯保証人になっていることがよくあります。会社を売っても、その保証は金融機関との契約なので、買い手が金融機関と交渉して保証人を差し替えるか、借り換えや返済をしないと外れません。
報道された事例では、2023年4月に株式を譲渡した都内の洋菓子店の経営会社で、2か月以内とされた保証人の変更が1年以上果たされなかったと東洋経済オンラインが報じています。国が公表した事例1も、この型でした。
買い手が、買った会社の預金を「親会社で一括管理する」などと言って自分の側へ移し、その後、会社が支払いに困って倒産する型です。
報道では、株式会社ルシアンホールディングスが買い手となった一連の案件が代表例です。東京新聞は2021年から2023年に全国37社が被害にあったと報じました。テレビ東京のガイアの夜明けは、東京都杉並区(当時)のセンシュー科学が500万円で売却され、売却時に6,800万円を超えていた預金のうち2,884万円が譲渡後1か月で移されたと伝えています。福島県の結婚式場運営会社ピーアンドケーカンパニーについては、全株式が80万円で譲渡された後に約1億5千万円から2億円が移されたと、共同通信が報じました。
売却額が会社の預金よりずっと低い、という点がこの型に共通しています。『社喰い』には、買い手側の人物の証言として、仲介会社が買収の候補として出してくる会社は「全て預金残高がある会社」で、口座に現金が多いのに株の譲渡価格が安い会社を、ある仲介会社が社内で「キャッシュ案件」と呼んでいた、という話が載っています。同書は、その仕組みを誰が考えたのかは「はっきりしない」とも書いています。
譲渡代金をクロージングの時点では低くし、残りを分割払いや退職慰労金として後から払う約束にして、それが払われない型です。国が公表した事例2がこれにあたります。中小企業庁は「クロージング時点では低額の譲渡対価で、クロージングから一定期間後に相当程度の譲渡対価を支払うという条件を提示されている場合」に特に注意するよう求めています。
仲介会社の報酬は、多くが成約したときに受け取る成功報酬です。売り手と買い手の両方から報酬を受け取る形(両手)もあります。成約させることへの動機が強く働く仕組みだという指摘は、報道や本で繰り返されています。
『社喰い』によれば、ルシアンの件の後、仲介会社の社内で買い手に取引を断る判定が出るようになったものの、別の法人の名前を出して買収を続けた例があったといいます。審査があっても、名義を変えれば通ってしまうすき間です。
トラブルの入口は、特定の種類の仲介会社に限られていません。報道と本には、大手の仲介会社、中堅の仲介会社、取引先の信用金庫や地方銀行の紹介、公的な引継ぎ支援センター、インターネットのマッチングサイトのすべてが出てきます。内田建設(東京都)の件では、メインバンクが仲介会社を紹介したとダイヤモンド・オンラインが報じています。
ここで気をつけたいのは、「仲介」という形そのものと、1件ごとの審査や説明の質を分けて考えることです。M&A支援機関登録制度のデータベースを見ると、登録している銀行82行のうち78行、信用金庫・信用組合102のうち98が、仲介の手数料表を公表しています。仲介の形はすでに金融機関の多くが採っているもので、登録していること自体は問題ではありません。見るべきは、誰が、買い手について何を調べ、売り手に何を説明したかです。日本財務戦略センターも、仲介の登録支援機関の1つです。
個別の案件18件を、トラブルが表に出た段階で分けると、17件がクロージングの後、1件がクロージングの時でした。
一方で、報道から「その前の段階に原因があった」と読み取れた案件が8件あります。契約の条件の段階が5件(売却額が預金よりずっと低い、保証人を変える期限が守られない、買収の直前に売り手が買い手にお金を貸した、など)、買い手の候補が出た段階が2件(取引銀行の紹介、仲介会社の提案)、クロージングの時が1件です。残る10件は、報道からは分かりませんでした。「買い手を探す前」に原因があったと読める案件はありませんでした。
| 段階 | 原因が読み取れた案件 | 表に出た案件 |
|---|---|---|
| 買い手の候補が出たとき | 2 | 0 |
| 契約の条件を決めるとき | 5 | 0 |
| クロージングの時 | 1 | 1 |
| クロージングの後 | 0 | 17 |
| 報道からは分からない | 10 | 0 |
トラブルが表に出るのはクロージングの後ですが、確かめる機会はその前にあります。冒頭の4つは、この表のうち、クロージングより前の段階で確かめられることを並べたものです。
自動では外れません。そして、統計を見ると、代表者が交代しても前の社長の保証だけが残る割合は、この9年で上がっています。
ここで使うのは、金融庁が「経営者保証に関するガイドライン」等の活用実績として公表している、民間の金融機関(2025年度は529機関の合計)の数字です。これは金融機関の取引先で代表者が交代したときの保証の扱いで、M&Aに限った統計ではありません。親族や従業員への交代も含まれます。
| 年度 | 件数 | 保証なし | 新しい社長だけ | 前の社長だけ残る | 両方からとる |
|---|---|---|---|---|---|
| 2017 | ― | 9.9% | 34.6% | 18.6% | 36.9% |
| 2018 | ― | 10.4% | 41.9% | 29.3% | 18.3% |
| 2019 | ― | 10.3% | 42.6% | 34.0% | 13.1% |
| 2020 | ― | 11.1% | 48.6% | 35.4% | 4.9% |
| 2021 | ― | 9.9% | 50.3% | 35.6% | 4.2% |
| 2022 | ― | 11.0% | 47.6% | 38.1% | 3.2% |
| 2023 | ― | 17.2% | 41.0% | 39.1% | 2.7% |
| 2024 | 43,865 | 16.6% | 41.1% | 39.3% | 2.9% |
| 2025 | 40,170 | 16.7% | 40.6% | 39.7% | 3.0% |
金融庁「『経営者保証に関するガイドライン』等の活用実績」各年度(通期)。2025年度は2603.xlsx「公表資料」で検算

前の社長と新しい社長の両方から保証をとる「二重徴求」は、2017年度の36.9%から2025年度の3.0%まで減りました。その一方で、前の社長だけに保証が残る割合は18.6%から39.7%に上がっています。構成比の上では、二重徴求が減る間に、前の社長だけに残る割合が増えたことになります。ただ、二つの動きの間に因果関係があるかどうかは、この統計だけでは分かりません。
39.7%という数字は、「M&Aの39.7%で保証が残る」という意味ではありません。M&Aに限らない、代表者交代の全体の中での割合です。
信用保証協会の保証つきの借入では、前の社長だけに残る割合はさらに高く、令和7年度(2025年度)は41,816件のうち52.3%でした(中小企業庁の公表資料)。日本政策金融公庫(7.1%)と商工組合中央金庫(14.3%)の数字は、分母に「もともと保証をとっていない融資」が入るため、民間の金融機関と並べて比べることはできません(同)。
ルールの側の動きを、時期の順に並べます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2020年3月 | 中小企業庁が「中小M&Aガイドライン」を公表 |
| 2023年9月 | 中小M&Aガイドライン 第2版 |
| 2024年5月 | 中小企業庁が不適切な買い手について最初の注意喚起 |
| 2024年8月 | 中小M&Aガイドライン 第3版(手数料の説明、利益相反の禁止、経営が苦しい売り手の案件での買い手の調査など)。同月、中小企業庁がトラブル事例を公表 |
| 2024年10月 | 中小企業庁が15機関に注意。M&A支援機関協会が「特定事業者リスト」を始める |
| 2025年1月 | 初めての登録取消し(M&A DX)と6社への注意 |
| 2025年4月 | 特定事業者リストを国の文書に合わせて改め、代表者名・役員名でも照会できるようにする |
報道が個別の案件を報じ始めた2024年と、国と業界のルールが動いた時期は、ほぼ重なっています。
特定事業者リストは、経営者保証を外す約束を守らなかった買い手などを、業界で共有する仕組みです(協会の説明ページ)。リストを見られるのは協会の会員などで、2026年9月25日時点で134社です。この中には、案件で登録の理由が生じたら協会に報告する義務を負う「本制度参加会員」と、リストを見るだけの「利用会員等」がいます。金融機関では、大阪商工信用金庫、株式会社佐賀銀行、豊川信用金庫、長野信用金庫、碧海信用金庫が本制度参加会員、株式会社大垣共立銀行、株式会社三井住友銀行、株式会社三菱UFJ銀行が利用会員等として載っています。事業承継・引継ぎ支援センター(全国48か所)と中小企業基盤整備機構も利用者です。ここに載っているかどうかで、良し悪しを判断することはしません。リストを照会できる立場かどうかは、売り手が依頼先に聞いて確かめられる事実の1つ、ということです。
ここまでの事例と制度をもとに、段階ごとに確かめられることを表にしました。
| 段階 | 確かめること |
|---|---|
| 仲介会社・FAと契約する前 | 報酬の料率だけでなく、最低報酬額、報酬を計算する基準の額(譲渡額か総資産か)、報酬が発生する時点。報酬の計算例を書面でもらう。専任の条項や、買い手と直接話すことの制限がないか |
| 買い手の候補が出たとき | 買い手の法人番号と代表者名。それをもとに、過去の報道や登記を自分でも調べる。仲介会社・FAが買い手の資金や過去について何を調べたかを聞く。依頼先が特定事業者リストを照会できる立場か |
| 契約の条件を決めるとき | 譲渡代金がクロージングの時に払われるか、後払い・分割になっていないか。退職慰労金の金額と期日。経営者保証を「外す努力をする」ではなく「いつまでに外す」と書いてあるか。外れなかったときにどうなるか |
| クロージングの時 | 保証が外れたことを、自分で借入先の金融機関に確かめる |
| クロージングの後 | 約束の支払いが期日どおりにあるか。会社の預金が親会社へ移されていないか |
困ったときの相談先は、M&A支援機関登録制度の情報提供受付窓口(匿名でも可。ただし紛争の解決や助言はしない窓口です)、M&A支援機関協会の苦情相談窓口、日本弁護士連合会の「ひまわりほっとダイヤル」、各都道府県の事業承継・引継ぎ支援センターがあります。中小企業庁も、少しでも違和感があれば弁護士やセンターに相談するよう呼びかけています。
ここまでは、外部の第三者に会社を譲る場合を見てきました。事業承継には、親族や従業員に継がせる形もあります。親族への承継で何が争われているのかを、同じように公開資料から確かめます。
家庭裁判所に新しく申し立てられた遺産分割の調停は、2015年の12,980件から、2025年には17,297件になりました(司法統計 令和7年 家事編 第2表)。ただし、このうち会社の株式や事業用の資産をめぐるものが何件あるかは、統計からは分かりません。統計の遺産の区分は土地・建物・現金等・動産の4つで、株式は「現金等」に含まれているためです。17,297件が事業承継のトラブルの件数という意味ではありません。
| 年 | 遺産分割の調停(新受) | 遺留分の放棄の許可(新受) |
|---|---|---|
| 2015 | 12,980 | 1,176 |
| 2019 | 13,801 | 911 |
| 2025 | 17,297 | 694 |
最高裁判所「司法統計年報 令和7年 家事編」第2表
相続人があらかじめ遺留分(法律で保障された最低限の取り分)を手放すための「遺留分の放棄の許可」は、同じ10年で1,176件から694件に減っています。なぜ減ったのかは、統計からは言えません。
裁判例検索で「遺留分」と「株式」、「名義株」、「事業承継」と「株式」、「事業承継」を検索し、重複を除いた123件を全文で読んで、中小企業の承継に関係するものを選ぶと、判決は18件、争いの数にすると11件でした(親族内7・第三者4)。1つの争いが地方裁判所・高等裁判所や別の請求に分かれて、いくつもの判決になっているためです。
親族内の争いで目立つのは、名義株(実際の出資者と株主名簿の名前が違う株)と、遺留分です。創業者が事業に欠かせない商標を一部の相続人に遺し、ほかの相続人が遺留分を請求した結果、同じ名前の事業が二つに分かれて争いが続いた例があります(アザレ化粧品をめぐる大阪高裁 平成17年6月21日判決 ほか、関連する判決は6件)。名義株については、遺産分割で取得した株式の株主の地位を、名義の書き換え前でも会社に主張できるとした名古屋高裁 平成3年4月24日判決があります。
トラブルの数字だけでは、承継を支える制度がどれだけ使われているのかは分かりません。最後に、経営承継円滑化法などの制度ごとに、使われた件数を見ます。トラブルの件数とは別の話として読んでください。
| 制度 | 使われた件数 | 出典 |
|---|---|---|
| 事業承継税制(特例承継計画の申請) | 2018年度 2,936/2019年度 3,451/2020年度 2,808/2021年度 2,661/2022年度 2,690/2023年度 5,531/2024年度 1,671 | 経済産業省 令和8年度税制改正要望 |
| 同(都道府県知事の認定) | 年平均で、一般措置の時期は250件程度、特例措置の時期は1,000件程度 | 2026年6月16日 参議院財政金融委員会での中小企業庁の答弁 |
| 同(相続税・贈与税の納税猶予を受けた人) | 2024年分 相続448人・贈与848人 | 国税庁 統計年報 |
| 遺留分に関する民法の特例(家庭裁判所の許可の申立て) | 2015年 23件/2025年 49件 | 司法統計 家事編 第2表 |
| 金融支援の認定 | 累計142件(2009年3月〜2017年12月) | 2018年4月13日 衆議院経済産業委員会での答弁 |
| 事業承継税制の認定取消し・猶予の打切り | 公表なし | ― |
| 所在不明株主に関する会社法の特例 | 公表なし | ― |
事業承継税制の計画は、年に数千件申請されています。遺留分の特例は年に数十件、金融支援の認定は9年間で142件でした。制度によって、使われている件数の規模が大きく違います。件数が少ないことは、その制度が役に立たないという意味ではありません。
Q. M&Aでは、どんなトラブルが多いのですか。
公開資料で多く見られたのは、経営者保証が外れない、会社の現預金を買い手の側に移される、後払いの譲渡代金や退職慰労金が払われない、の3つです。詳しくは「何が起きているのか」の節をご覧ください。
Q. 会社を売れば、経営者保証は外れますか。
自動では外れません。保証は金融機関との契約なので、買い手が金融機関と交渉して保証人を差し替えるか、借り換えや返済をする必要があります。民間の金融機関では、代表者が交代しても前の社長だけに保証が残る割合が2025年度に39.7%でした(M&Aに限らない数字です)。
Q. 買い手が信用できるかは、どう確かめればよいですか。
仲介会社や金融機関から紹介されたということだけで判断せず、買い手の法人番号と代表者名を聞き、過去の報道や登記を自分でも調べることができます。あわせて、仲介会社やFAが買い手の資金や過去について何を調べたかを聞き、依頼先が特定事業者リストを照会できる立場かを確かめます。
Q. M&Aのトラブルは、全国で何件起きているのですか。
公表された件数はありません。この記事で確認できたのは、国の注意22と取消し1、報道で確認できた個別の案件18件、本に書かれた事件(2冊で27件と13件、重なりなし)などで、いずれも表に出たものだけです。
Q. 相談先はどこですか。
M&A支援機関登録制度の情報提供受付窓口(匿名可)、M&A支援機関協会の苦情相談窓口、日本弁護士連合会のひまわりほっとダイヤル、各都道府県の事業承継・引継ぎ支援センターがあります。
Q. 親族に継がせる場合は、どんな争いがありますか。
裁判例では、名義株と遺留分をめぐる争いが目立ちました。家庭裁判所の遺産分割の調停は10年で約3割増えていますが、そのうち事業承継が原因のものは統計からは分かりません。
報道日の順です。会社の名前は報道で実名が出ているものだけを載せ、内容は各報道によるものです。
| 報道日 | 媒体 | 報じられた内容 |
|---|---|---|
| 2024-03-19 | gamebiz | 株式会社モバイルファクトリーが、買収した子会社Suishowの元株主を提訴(請求6億円) |
| 2024-05-03 | 東京新聞 | ルシアンホールディングスが買い手となった案件で、全国の中小企業に被害 |
| 2024-06-07 | 日本食糧新聞 | 石黒製麺(山形県)が廃業 |
| 2024-07-22 | 東洋経済オンライン | 都内の洋菓子店の経営会社で、保証人の変更が1年以上果たされず |
| 2024-09-14 | ニュースイッチ | 20社超を傘下に収めた買い手(ANEW Holdings)の破産と、傘下企業の破産 |
| 2024-09-28 | ニュースイッチ | サン勇建設(埼玉県)が、売却後の新代表の経営で破産 |
| 2024-10-04 | テレビ東京 | センシュー科学(東京都杉並区〔当時〕)の売却後に預金が移される |
| 2024-10-18 | ダイヤモンド・オンライン | 日本製造の子会社の離脱と操業停止 |
| 2024-10-31 | 文春オンライン | 朝日出版社の株式の売却をめぐり、取締役全員が解任される |
| 2024-11-01 | 日経ビジネス電子版 | 金砂郷食品(茨城県)で預金3,500万円が消える |
| 2024-11-08 | ダイヤモンド・オンライン | 内田建設(東京都)の資金流出と、メインバンクの対応 |
| 2025-02-08 | 共同通信 | ピーアンドケーカンパニー(福島県)が80万円で譲渡され、その後に資金が移される |
| 2025-04-24 | Business Insider Japan | 東海地方の機械製造業で、買収直前に売り手社長が買い手に5億円を貸し付け |
| 2025-06-25 | ダイヤモンド・オンライン | マイスホールディングスを元子会社が提訴 |
| 2025-09-22 | 中日新聞 | 愛知県の介護事業者で、売却の1週間後に1,000万円が引き出される |
| 2026-01-21 | 日本経済新聞 | 大阪府の繊維メーカーで、譲渡直後に会社の資産が売られる |
| 2026-02-12 | 東洋経済オンライン | マイスホールディングスが仲介会社側を提訴(対象会社は彩貴工業) |
| 2026-04-15 | 弁護士JPニュース | 2023年に9社以上を買収した買い手に、地裁が1億円超の賠償を命令(『ルポ M&A仲介の罠』の抜粋) |
| 2026-10-01 | 朝日新聞 | 日本M&Aセンターの元社員が、保証の未解除を「解除済み」と答えるよう働きかけた件 |
ルシアンホールディングスの件は、売り手ごとに報じられたもの(洋菓子店の経営会社、センシュー科学、金砂郷食品、内田建設、ピーアンドケーカンパニー)を1件ずつとし、総括の記事は件数に入れていません。そのため、上の表は19行で、個別の案件は18件です。
| 書名 | 事件 | 悪質な買い手 | 仲介・FAの問題 | 経営者保証 | 報道との重なり |
|---|---|---|---|---|---|
| 藤田知也『ルポ M&A仲介の罠』朝日新聞出版、2025年7月 | 27 | 26 | 14 | 10 | 5 |
| 片田江康男『社喰い』ダイヤモンド社、2026年7月 | 13 | 12 | 8 | 5 | ― |
1つの事件に複数の型が当てはまるので、型の件数を足しても事件の数にはなりません。2冊の間で同じ売り手を扱った事件はありませんでした。
この記事は、2026年10月1日時点で公表されている国の資料、裁判所の公開情報と統計、金融庁・中小企業庁の統計、無料で公開されている報道、2冊の書籍(藤田知也『ルポ M&A仲介の罠』朝日新聞出版、片田江康男『社喰い』ダイヤモンド社)をもとに集計・整理したものです。トラブルの発生件数や発生率を推計したものではありません。報道と書籍の内容は各出典によるもので、株式会社日本財務戦略センターが事実を確かめたものではありません。特定の会社や個人の信用や違法性を評価するものでもありません。株式会社日本財務戦略センターは仲介とFAを行い、M&A支援機関登録制度に登録し、一般社団法人M&A支援機関協会の正会員です。個別の契約や紛争については、弁護士などの専門家にご相談ください。
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