【この記事の結論】中小M&Aで使われる「年倍法」はDCF法より理論的精度は劣るものの、将来予測の不確実性を考えれば現実的な「価格」決定方法として合理性があります。「価値」と「価格」は別物であり、市場で成立する金額が真の価格を形作ります。株式会社日本財務戦略センター(JFSC)代表・五十嵐悠一は、これまでに数百件の中小M&A案件を手掛け、その実務経験から導いた知見に基づき、本稿を執筆しています。
先日、M&A業界との間で、興味深い議論が展開されていました。それは、中小企業庁もM&Aで広く使われる中小企業の価格算出手法である「年倍法」が、果たしてファイナンス理論として妥当なのか、という問いです。そして、もし妥当でないのであれば、なぜ事業承継・引継ぎ支援センターや中小企業の現場でこのような考え方が浸透しているのか、という点まで踏み込んだものでした。
これはM&A実務における本質的な問題で、特に面白い論点だと感じたため、本稿で詳しく取り上げてみたいと思います。
本稿のスタンスを最初に明確にしておきます
まず、本稿のスタンスを明確にお伝えします。別のコラムでも触れていますが、私は理性的健全性を担保する上において(特に不公正な行為を除き、ある程度広く合意を集めているもの)、「価格は最後は市場が決める」と考えています。また、社会的に一般的に広く使われており、大きなトラブルが起きていない手法については、「自分に合わないからそれは違う」と一刀両断するのではなく、まずはその理由の妥当性を深く考察する、というスタンスです。
上記のスタンスを踏まえ、本稿では「年倍法」と現代のファイナンス論点で主流である「DCF法」について整理し、さらに「価格」と「価値」の違いを比較検証していきます。
年倍法とは?中小M&Aで広く使われる理由は何ですか?
「年倍法」とは、株価を算出する際に「営業利益(あるいは中小企業界において償却前利益(EBITDA)・純利益、税引後利益など変わってきています)の何年分+純資産」というように、買い手側が「純資産は同等の金額で買い受けて、あとは○年で回収してね。さもないとこの会社、私だとうまくやれない時間軸じゃないか」という価格の決め方です。
この手法は、買い手側からすると非常にイメージしやすいというメリットがあります。例えば、「この会社を買えば、この利益が何年分くらいで回収できるんだろう」という具体的な見通しを立てやすいのです。また、売り手側にとっても「この資産+本業」という形で、年倍率分上乗せしていくことへの対応を明確に示せるため、説明しやすいと言えるでしょう。
特に、中小M&Aガイドライン第3版(経済産業省)でも触れられているような事業承継案件では、これまでの実績がそれなりに安定することが多く、収益や利益の大きな変動が少ないと見込まれるため、この手法がよく使われるのも納得できます。また、中小企業庁の調査でも、事業承継の円滑化は喫緊の課題とされており、M&Aはその有効な手段の一つとして位置付けられています。その際、経営者保証ガイドラインも重要な考慮事項となります。
私が過去に担当した事業承継案件では、地場企業様が長年培ってきた顧客基盤や技術力といった強みを定量化し、買い手側が「何年で回収できる」という具体的なイメージを持って評価し、年倍法に基づく価格交渉がスムーズに進んだケースがあります。
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DCF法とは?理論的評価手法の概要を教えてください
次に、現在のファイナンス理論で主流である「DCF法(Discounted Cash Flow法)」による株価の計算方法について説明します。
DCF法は、企業の将来のキャッシュフローを予測し、それを適切な割引率で現在価値に割り戻して合計することで、企業価値を算出する手法です。具体的には、以下のステップで計算されます。
- 事業から将来生み出されるフリーキャッシュフロー(FCF)を予測します。
- 予測したFCFを、加重平均資本コスト(WACC: Weighted Average Cost of Capital)と呼ばれる割引率で現在価値に割り戻します。WACCは、株主資本コスト(CAPM: Capital Asset Pricing Modelなどで算出)と負債コストを加重平均したものです。
- 予測期間以降の永続的な価値(ターミナルバリュー)を算出し、現在価値に割り戻します。
- これらの現在価値を合算し、事業価値を算出します。
- 事業価値に、余剰現金や非事業資産(投資不動産等)を加算し、有利子負債を控除して企業価値とします。
- 企業価値から少数株主持分を控除した残りが、株主価値(株価)となります。
DCF法は複雑な計算を伴いますが、その理論的背景は多くの専門家によって支持されています。金融庁も企業価値評価の透明性向上を促しており、加重平均資本コスト(WACC)やフリーキャッシュフロー(FCF)の算出方法については、中小M&Aガイドラインなどでもその重要性が強調されています。
DCF法の現実的課題と限界をどう捉えるべきですか?
これは本稿の前提となりますが、DCF法について書籍を多く拝読すると、一見理論的洗練が高いように見えますが、扱う指標は市場に求めるため、非常にスタイリッシュで整理された手法です。
しかし、その考え方は「市場が全てを織り込んでいる」という前提に立つわけですが、リーマンショックやコロナ禍のような予想もしない時代が起こる中で、現在も過去のデータ、または将来予測で判断するキャッシュフローにどの程度の確実性があるのか、という根本的な問題があります。理論的にはなるほどと思うのですが、前提となる変数を強くするのかどうかというところを検証することは困難なのです。
(この点については、80年代AT&Tがマッキンゼーに携帯電話事業のコンサルティングを依頼した際、「携帯電話事業は成立しないから撤退すべき」と提言されたという有名なエピソードを思い起こすと、将来予測の困難さがよく理解できるでしょう。著名なコンサルティングファームでさえ、20年後の市場を正確に予測することは極めて困難なのです。実際、帝国データバンクや東京商工リサーチの景気動向調査を見ても、市場環境は常に変動しており、長期的な予測の不確実性が示されています。)
当社でも、過去のM&A案件でDCF法を用いた評価を行った際、将来キャッシュフローの予測に多大な労力を費やし、その前提条件の妥当性をめぐって買い手・売り手で深い議論が生じた経験があります。特に、市場環境の急速な変化が見込まれる場合には、複数の予測が大きく揺らぎ、最終的な価格交渉が必要となることも少なくありませんでした。
さらに以下のような前提条件があります。
- 企業が永続的に続くこと(ターミナルバリューを求めるため)を前提としている。
- WACCはCAPMなどの前提理論や、株式時価などのマーケットデータから推測して求めるが、そのマーケット情報を適応するのか、また対象企業が上場していないという前提条件が前提になっている。
- 繰り返しになりますが、将来のキャッシュフローを正確に算定できるのか(コロナ禍やリーマンショックのような予測不能な時代を想定できるか)という根本的にクリアできない問題がある。
社長ですら自社で起こっていることを完全に把握できていない(報告が上がっていない)以上、その非対称性はどこの企業でも存在します。これは会社法に定められた株主の権利や、金融庁が推進するコーポレートガバナンスの観点からも重要な論点ではあるものの、100%自社で起こっている事象を把握できている経営者がどれくらいいるのか、と考えれば、強く批判できる人は少ないのではないでしょうか。
その意味からすると、こうした事実に基づいて精密に価値を算定するという確からしさは一旦置いておいて、企業をいくらで買い、いくらで売り、それくらいの相場感(「年倍で○年分くらい」)のような感覚で価格が決定されるのは、それほどおかしいことだとは考えません。
「価値」がなくても「価格」がつくケースとは?
またM&Aではこれ以外にも、市場に流通している案件として、事業を全く行なっていない会社、というものがあります。これはDCF法からすると「価値」はゼロ円と評価されることが多いですが、「価格」はつきます。例えば、許認可を持っているだけの会社の許認可(例:弁護士法に基づく弁護士法人法人格、税理士法に基づく税理士法人など)を持っているとと(「価値」は0円ですよね)に対して「価格」がつくことがあります。
これは、その会社をM&Aした際に、買い手がどれだけの利益を生み出せるのか、あるいは新規で許認可を取得する時間や投資コスト、確実性を買うという観点で価値を生み出す「価格」がつくわけです。そして、実際にマーケットで売買が成立しています。
実際に、当社が関与したM&A案件の中にも、特定の許認可を所持する会社が、その許認可自体に価値を見出す買い手によって、事業稼働がないにもかかわらず価値で取引された例があります。これは、新規で許認可を取得する時間や手間、不確実性を回避するための「時間と確実性の対価」として価格が形成された典型例と言えるでしょう。
話を戻すと、確かに「価格」と「価値」は違うのですが、「価値」の決め方が理論的にしっかりしているからといって、現実に広範囲で成立している「価格」を決める手法を単に批判するだけではなく、いきさつや背景に密着して考察することが建設的ではないかと考え、取り上げさせていただきました。
M&A評価手法の選択:オーナー経営者とサラリーマン経営者の視点
なお、M&A業界との間では、以下のような興味深い議論もありました。
「サラリーマン(買い手企業となるような上場企業など)はDCF法を使って、オーナーは年倍法を使うのは、オーナーは自分で決めることができるけれど、サラリーマンは説明をしないといけないから、企業が永続的に続く前提で対応するから」
なるほど、と思いました。確かに前提条件が買い手によって変わるというのはあります。サラリーマンであれば社内や株主に対して説明責任があるので、より理論的に確かなDCF法を採用するのはその通りだと思います。実際、オーナー経営者は、自身のライフプランや事業承継の現実的な時間軸の中で、より直感的で理解しやすい年倍法を選択する傾向があると言えるでしょう。
以上、お役に立てれば幸いです。
株式会社日本財務戦略センター(JFSC)代表取締役・五十嵐悠一は、長年にわたり中小企業の事業承継M&A支援に携わってきた経験から、本稿を執筆しております。当社で現在進行しているM&Aについて、「本当にこれでよいのか?」「双方ちゃんと伝えられていないか」など、多数のご相談を寄せていただいていることから、「M&Aセカンドオピニオンサービス」を開始いたしました。M&A過程で買い手や売り手に対し、不安になっている買い手や、相談相手に相談相手がない買い手はお気軽にご相談ください。
※M&A実務の判断には専門家との相談が不可欠です。信頼できるM&A支援機関の選定には、M&A支援機関協会の登録情報なども参考になります。具体的な税務・法務の論点は税理士・弁護士など独占業務を担う専門家にご確認ください。
よくあるご質問
年倍法とDCF法、どちらを使うのが正解なのでしょうか?
どちらも一長一短で、ケースに応じて使い分けるのが実務的です。中小企業の事業承継M&Aで安定収益が見込める場合は年倍法が直感的かつ説明しやすく、上場企業や大型案件で説明責任が求められる場合はDCF法が適します。最終的には市場で成立する価格が決定要因となります。
「価値」と「価格」は何が違うのですか?
「価値」は理論計算で導かれる企業の本源的価値を指し、「価格」は売り手と買い手の間で実際に成立する取引金額を指します。事業を行っていない許認可保有会社のように、価値ゼロでも価格がつくケースがあるのは、買い手にとっての時間と確実性の対価が価格を形成するためです。
オーナー経営者とサラリーマン経営者でM&A評価手法が異なるのはなぜですか?
オーナー経営者はライフプランや事業承継の現実的な時間軸で意思決定でき、年倍法のような直感的手法を選ぶ傾向にあります。一方、サラリーマン経営者は社内や株主への説明責任があり、理論的に整理されたDCF法を採用する必要性が高いためです。具体的なバリュエーションは公認会計士・税理士など独占業務を担う専門家との連携が不可欠です。
免責事項
本記事は一般的な情報提供を目的としており、特定の案件における法務・税務・会計判断を提供するものではありません。法務・税務・会計の個別判断は、弁護士・税理士・公認会計士等の専門家にご相談ください。M&Aのスキーム設計・タイミング・買い手探し等のアドバイザリーは、株式会社日本財務戦略センターにご相談ください。記載内容は公開時点の情報に基づき、法令改正や市場変動により最新の状況と異なる場合があります。
よくあるご質問(FAQ)
📅 本記事の情報基準日
本記事は 2026年4月28日 公開時点の情報に基づきます。税制・法令等は改正される場合があるため、最新の制度・税制は公的機関の公式情報をご確認ください。
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